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ケーキな女たち 〜Piece.1 バタークリームくらいの美人

Peice.1  バタークリームくらいの美人/ 後藤沙織 25才

後藤沙織はここ数年、バタークリームケーキにハマっている。真っ白いホイップクリームがふんだんに使われた王者の風格漂うショートケーキより、生クリームの代わりにバタークリームでつくられたというエピソードがなんだか自分らしい。ケーキ界の中の上、私と同じだなと思いながら、沙織はバタークリームを口に運ぶ。

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沙織は自分自身が「美人」の部類に入るだなんて、社会人になるまで気づかなかった。謙遜でもなんでもない。小学生4年生のころから近眼でメガネをかけていたし、受験して私立の中高一貫校に入った沙織はごく真面目な生徒で、色恋なんてもってのほかだった。中高を通して吹奏楽部でフルートに夢中だったし、全国大会が終わったら受験勉強漬けの日々。大学に入って始めた塾講師のアルバイト先で出会ったひとつ上の先輩が初めての彼氏。その彼氏と地元のファミレスやラーメン屋に行き、カラオケをしてプリクラを撮り、月1回なけなしのバイト代でしみったれたラブホに行くという地味な恋愛生活を送っていたから、チヤホヤされたことなどなかったのだ。クリスマスにはわざわざ都心のイルミネーションを見に出かけるはいいが、記念撮影を終えるとそそくさと地元に戻り、結局は居酒屋チェーン店でカンパリオレンジを飲む。

そんな3年の交際期間を経て、まるで3年という時間なんて存在しなかったかのようにその彼とは一瞬で終了した。彼の就職先が決まると「好きな人ができた」とあっさりフラれたのだ。どうやら内定者といい感じになったらしい。よく聞く話だ。付き合ってはじめての誕生日にもらったなんちゃらハートのネックレスは、メルカリに出品した。未練があったからではない。もうこのハートのモチーフが時代遅れに感じたのだ。出品した日の夜に、あっという間に3000円で売れた。その3000円で新しい口紅を買い、自分の就活のときに愛用した。結果、沙織は丸の内にある金融機関の一般職に決まった。全国転勤したくなかった沙織にとってそれはベストな選択だった。

起承転結の「承」と「転」がない、深夜ドラマだとしても尺がもたないような地味すぎる恋愛しかしていなかった沙織だったが、まさかの社会人デビューしてしまった。いわゆる「丸の内OL」となった沙織は、絵に描いたようなモテる女となった。学生時代は吹奏楽部で日に焼けるタイミングがあまりなかったからか、両親が米どころの新潟生まれだからか、肌が白くてモチモチしている。大学生になってコンタクトレンズを入れるようになってから小さなモテの兆候はあったのかもしれないが、彼氏がいたこともあり気づかなかった。運動していなかった沙織の手首は細く、いわゆる白魚のような腕だ。高校時代に茶髪に染めたりパーマをかけたりしていなかった野ざらしの髪の毛はコシがあり、艶っぽい。なるほど、この自然児感と、変に「男慣れ」していない感じが、自分のことを美人と気づいていない「無自覚美人」として男にウケているのだろう。いかにも、女に処女性を求める日本らしい現象だな、と沙織は妙に客観的に納得した。

しかし、ここで大事なポイントがある。沙織は決して、「上」の部類に入る美人ではないということだ。上の美人はメガネをかけていようと、野ざらしの髪を振り乱そうと、高校生にもなるとその隠しきれないポテンシャルが光を放って、人の目に止まるものである。沙織はいわゆる「中の上の美人」。例えばミスコンのようなものに応募しても決して上位にはいけないレベルだが、それがいいのだ。絶妙に手が届きそう、そんな安心感のある「中の上の美人」は、世の大きなパイを占める「普通の男子」にウケがいい、実は最もおいしいポジションだ。

ところが沙織がそれをおいしいと思えたのは束の間だった。「中の上の美人」な丸の内O Lとして生きることになった沙織は、キラキラ輝く笑顔でぶん殴ってくる女たちの性質に気づくことになる。突然だが、ここで出題してみよう。

「沙織ちゃんは美人だもんね」


女たちから言われるこの例文には3通りの真意が含まれます。それぞれ要約せよ。

A. 男に色目使ってるんじゃない?

B. いやいや、いうほど美人じゃなくない?

C. あなたばっかり、ズルくない?

これらすべて、中の上の美人への抗議文である。これが圧倒的美人だったら、女たちは圧倒される。しかし中の上という中途半端な立ち位置は、女たちの不満を助長させるのだ。

「沙織ちゃんは美人だもんね」英語にすると“You are beautiful.”。こんなシンプルな英文から上記の3通りの翻訳ができるのは、“I love you.”を「月が綺麗ですね」と訳した夏目漱石くらいだろう。

そう、女たちは厄介だ。嫉妬深くて、敵にまわすと非常に面倒くさい。笑顔で抗議をぶつけ、おとしめにかかってくる。そこで沙織は丸の内OLとしてこの女社会で生き残るために、「中の上の美人」として「女に嫉妬されずに生きる技術」を取得した。これらは沙織の腹の中のメモである。

その1 悦び勇んで失敗すべし

 女たちは嫉妬深く、そして人の世話を焼くのが好きだ。だから人の成功は嫉妬の対象になるが、「自分が手を貸した結果の成功」であれば自分のことのように悦ぶ。(自分の成功ともいえるからだ)だから、積極的にダメな自分を見せるといい。実際にダメである必要はない。小さな失敗談を話したり、ダメな部分をどんどんひけらかすといい。すると、「沙織ちゃんて美人なのに、お茶目なところがあってかわいいね」となるわけだ。これでわかると思うが、「美人<かわいい」なのである。「美人」は褒め言葉ではなくただの嫉妬の現れだということがよくわかるだろう。

その2 男にモテた話は墓場まで持っていけ

まったく興味のない男が、自分に言い寄ってきたとする。まったくうれしくない話だろう。そんなうれしくもない話も嫉妬の対象になるから、一切を封印して、トイレにでも流すといい。あなたにとっては「公園で鳩と目があった」くらいのささやかなできごとであっても、その相手が人間の雄であるかぎり、他の女を不安にさせてしまうことがある。「男にモテた」というできごとは、男が好きな女たちにとってはまるで退屈な日常にアクセサリーがついたみたいなことなのだ。たとえそのアクセサリーが合成樹脂であっても、はたから見るとキラキラして見えてしまう。そんな話をして、無駄に女の嫉妬を買うなかれ。

その3 女からのすべての忠告は馬耳東風で

 くり返すようだが、女たちは世話を焼くのが好きだ。そして世話焼きがちな女たちは、なんの資格もないのにあなたに「そんな男はやめておけ」だとか「そんなの無理だよ」だとかネガティブな忠告をしてくる。その真意は、心配しているように見せかけて、本音としては、あなたに出し抜かれるのが怖いのだ。だからなん癖つけてあなたの進歩を止めてくるのである。一切の忠告を馬耳東風のスタンスで。「そっか、あはは」それくらいでいい。バカなフリくらいがちょうどいい。まともに聞いていいのは、婦人科の情報くらいだ。面白いことに、健康問題となるといきなり本気で心配してくれたりする。女とは本当に不思議だ。


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これが沙織の腹の中である。女たちの嫉妬を買わないように、自分の生きる道をふさがれないように、中の上の美人としての生き方を体得した沙織。ひねくれているとも見える彼女だが、実はそんな女たちが嫌いじゃない。すぐ不安になって、嫉妬して、でも世話焼きで。一生懸命話を聞いてるようで、自分の話をしたくてたまらなくて。愛が強いようで、誰のことも愛してなんかなくて。自分の中のモンスターと格闘しているそんな女たち。何を隠そう、沙織もそのひとりだから、彼女たちの気持ちがわかってしまうのだ。

真っ白でない、アイボリーなバタークリーム。この中の上な感じが、沙織は好きだ。バタークリームに練りこまれたジャリジャリとした砂糖を噛み砕いて、コーヒーで流し込む。沙織はそうやって、自分の中のモンスターを日々おさえこんでいる。


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