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(7)血潮

 小便器にあたった小便の水音がやんだ瞬間だけが心音だった。それ以外の用途に用いられることができなくなった管はいつしか血が滞ったかのようにもう満ちたりることはなくなって、血の通わなくなった四肢のうちのひとつが朽ちたらその毒で死ぬことと同じく、これが不能になったときには死ぬかもしれないと思われた管ですら、不能になって吊るされるのを見るのはまるで自分とは別の生物の昼寝を見ているときのようであって、それ自体になんらの遺憾もなかった。かつて中枢の臓器に数えられていたはずの器官ですら経年によって小便や、呼気や、肌の熱や分泌の作用と同じように当然のごとく解離してそこにあるように感ぜられるのを、むしろ自然なことと思えてしまうのが改めて奇妙だった。
 蛇口から流れる水に手を通してみても、硬い樹の幹じみた肌には水が浸透してゆかないような気がした。水のほうから拒絶をされている。毎年夏になると緞帳に縁取られた体育館の舞台にあがって賞状を受けとったものだが、そのときはいかにうれしくもなさそうな顔を全校生徒にむかってしてみせるかということだけに集中していた。田中は賞状などはいらない、水泳はあの人にとっては空気のようなもので、水のなかにいるほうが陸にいるより楽なくらいだから、賞状なんてもらってもいまさらうれしくないのさと、だれかが自分のうわさをしているのをきいて、きいたときはなんとも思っていないそぶりをしたが、家に帰ってからひとりでほくそえむのだった。俺が一番だ。
 田中氏が小便のあとに手を洗うようになったのは五十を過ぎてからだった。それまでは右手の指先をぬらすだけだった。いまは、鏡を見るために立ち止まるようになったので、自然手を洗う動作を付け加えたに過ぎない。ひにひに経てきた年月が顔面にきざみこまれてゆくのが見てとれてしまう。父親に似てきたと思ったのは、十六のころ以来だった。あのとき父親に似てきた自分の体を見て、あらゆる選択肢のさきへ幾筋も広がっていくように感じられた可能性の樹枝は、いま、ふたたび、突然すべての可能性を閉じて凍えたようにある一点を目指して収束していく、父親の死に顔へと。
 給湯室はきっと、目上に見られずにぞんぶんにそしりをするためにある部屋だったから、田中氏はそこを通るときはわざと足音を立てて歩いた。中から聞こえてくるあらゆるわるくちはふととまって、いかにもこれまでと同じことを話していますというように、別の明るい話題がかわされる。顔のしわ、妻の腰、腰骨の上のあたりにいつからか深く現れた得体の知れないしわのように、自分にもいつからともなく目につくようになったしわを鏡で確認してしまうと、もう田中氏は足音をひそめずにはいられなかった。そうして部屋のなかで、だれかが自分のことをなじってはいまいか、体臭や容姿についての嫌悪を吐露してはいまいかと点検せずにはいられなかった。しかし、その日は、しのびあしで通り過ぎようとしても、そもそもなかから声が聞こえてこなかった。夜が遅くなってくるといままでにもこういうことがあり、田中氏は気まぐれの興味で部屋のなかをのぞいた。普段のくせで鼻歌をくちずさみそうになったのをとっさに飲みこんだのは、流し台によりかかる女の白い脚と男のスラックスが同時に目に入ってきたからだった。二人は互いのくちびるを食んだりからだをなであったりしていた。やがて動きのしなやかさが増したとき、田中氏はその場をいそいそと立ち去った。
 右手に温かいものが触れた。自分がなにかを握っているのかそれともだれかに握られているのか判断がつくまえに、青空にピストルの音がこだまする。娘がまだ小学生のとき、運動会を開催する校庭で、娘の走る順番がくるまでずっと自分の右手の親指を誰かに握られていたことを思い出した。走るこどもたちの脚がトラックを踏んで、砂が小さくあがるたびに、すっかりぬるくなったものを温めなおそうとするだれかの意識が各瞬間しゅんかんをとらえて、とどめようとしてくるのを感じた。スタートをきった娘に妻が手をふって声をかけたとき、右手のやさしさが急にとぎれたので、田中氏はそれまで手を握られていたことに初めて気がつき、隣に立っているのが昨晩会った女ではなくて十年をともにしてきた妻であることをふたたび認めた。
 帰りの電車のなかでは夜の町明かりの流れる車窓に、給湯室での風景がくりかえし再生された。
 翌日、田中氏は妻と、大学生の娘を連れて車を走らせた。三人とも、この家族が真昼間の太陽が出ているところで互いの顔を見るなどということは何年ぶりだろうかと思っていた。娘由佳はミラーに映った父の顔を見ながら、自分の顔がどことなく父に似ていることを思い出していた。化粧をするようになったころ、化粧をしないほうがかわいいのにと父がよく言っていたのはつまるところ自分に似ている娘でいてほしかったのだった。でもね、ひさしぶりにみてみるとパパの顔ってべつにだめなわけじゃないし、ママだって若いときの写真はすごく美人だったから(あ、シートベルトしてない)、それについては文句はないんだけどね、ただ、パパのほうに似てるっていうのはちょっといやかもね。
 海の遠いところでサーフィンをしている人らが見えるのに、白い砂浜には足跡がひとつもないのが不思議だった。あたたかい日差しを手でさえぎりながら、海になど来てどうするつもりなのかと父にたずねたところ、父はおもむろに服を脱ぎはじめるのだった。パパ、まだ泳げるの。
しばらく車の横に立って、夫と娘が海を背景に白い光のなかでたたずんでいるのを見ていた妻礼子は、目を閉じてまぶたの血潮を感じていた。わたしはやさしい。このひとのことは責めなかったし(風が強い、髪をとめてくるんだった)、いまだって好きだから(あつきちしお)なにも間違ってなかった、別れなくてよかった(なんでこんなこと考えるのだろう)、いまでも水泳部の田中君のままだ、あの朴訥とした、それでいて野心的な目をした田中君のままだ。
 なにもいわずに海にむかって歩きはじめた田中氏の背中。ざらついた風が薄くなったはずの頭髪をおおいに吹きあげるような気がした。泳ぐには冷たすぎる水が、乾ききったはずの感覚を呼び覚ましてくれるような気がした。足が海水に浸ってゆくとき、事実、いずれ死にゆく肉体の中心に、一瞬懐かしい熱がみとめられたのだった。俺が一番だ。

五本指ハムスター✌🏻🐹✌🏻