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003 論理思考

戦争に病気、飢餓にピーマン。世に嫌われ者は多々ありますが、論理思考(ロジカルシンキング)もまた、一部のビジネスパーソンから毛嫌いされる存在のひとつです。数学やプログラミングなども同様の扱いを受けてきた被害者たちですが、このふたつは最近、STEM教育※が世に浸透するに従って少しずつ救済され始めているようです。
※ Science, Technology, Engineering and Mathematics
 (科学・技術・工学・数学)の総称

一方、論理思考は相変わらず嫌われ者のままですが、今回はこの嫌われ者「論理思考」を取り上げます。というのも、論理思考はポータブルスキルの根幹をなす重要なスキルのひとつで、これ無しでは、どんな仕事も前に進められないからです。その証拠にたとえば「伝える」という行為ひとつを取っても、この論理思考なくしては「何を伝えるか?」という内容部分がスッポリ抜け落ちてしまい、コミュニケーションは破綻してしまいます。「伝える」という行為には、「どう伝えるか?」という伝え方(コンテクスト)の側面だけでなく、「何を伝えるか?」という内容(コンテンツ)の側面があるからです。

考え方の考え方

「何を伝えるか?」という内容を考える前に、そもそも「考える」とは何をどうすることでしょうか?

小学館『デジタル大辞泉』には次のように書かれています。

1. 知識や経験などに基づいて、筋道を立てて頭を働かせる。
・判断する。結論を導き出す。
・予測する。予想する。想像する。
・意図する。決意する。
2. 関係する事柄や事情について、あれこれと思いをめぐらす。
3. 工夫する。工夫してつくり出す。

これらの説明から「考える」を「予測・判断・決意する/しようとすること、思い付くこと」くらいに定義できそうです。しかし「言うは易く行うは難し」で、これをしようとすると脳にストレスが掛かり、途端に〝思考停止〟したくなります。ましてや、論理的に考えることを求められる論理思考においては何をか言わんや…といったところでしょう。

そこで、せめて掛かったストレスに相応しいメリットが欲しいところです。「考える」ことによって得られるメリット、それは「分かる」という自己認識、「分かった!」という奇跡です。

「分かる」が分からない

ですがこの「分かる」という状態が、いまひとつ分かりません。ここでは少し遠回りをして、「分からないとはどのような状態なのか?」から探りをいれてみます。

そもそも「分からない」には2種類があると言われています。

① 何を言いたいのかが「分らない」≒  不明だ
② そうする理由が「分からない」≒  納得できない

これを情報という観点で捉えると、①の「不明だ」は「情報が充分に与えられていないため、明らかにできない」という状態、②の「納得できない」は「情報は与えられたのだけれど、的外れなものばかり」という状態と言えます。言い換えれば、①は情報の “量” が不足する状態、②はそれの “質” が不足する状態…だということです。

「分からない」が「情報の “量” や “質” の不足」ということは、これを裏返せば「分かる」の説明になります。

分かる  ≒  充分な情報量がある  +  情報に質がともなっている

納得に必要な情報の質

自分が分かるだけでなく、相手にも分かってもらうためには(情報量だけでなく)その “質” も重要だというお話をしました。では、その “質” とは何でしょうか?

その答えは人によって様々でしょうが、少なくとも次のように言えるのではないでしょうか?

情報の質  ≒  信憑性ある事実  ×  妥当性ある考えの筋道

事実に基づかない情報は、運が良くても只の「意見」や「主張」、場合によっては「解釈」や「分析」、酷い場合には「真っ赤なウソ」である可能性さえあります。ですので、まずは信憑性ある事実であることが “質” の前提です。ただし事実を材料としても、多くの人から「妥当性がある」と判断してもらえなければ、その筋道に従って伝えられなければ、事実は水泡に帰するので注意が必要です(素材を台無しにする調理なら、しない方がマシという話です)。

納得には情報の質が必要であり、その質には「妥当性ある考えの筋道」が必要です。そして、この「妥当性ある考えの筋道」こそが論理であり、それを使って考えるのが論理思考なのです。

さて、ここで問題です。
上記説明は論理的でしょうか?(答え:たぶん非論理的)

[参考]これまで&これからの記事

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