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緊急事態宣言に基づく外出自粛要請に法的拘束力がない理由

いよいよ、新型コロナウィルス対策特措法に基づく緊急事態宣言が発令されます。
この宣言がされることにより、法的根拠に基づいて、国民に対し、不要不急の外出自粛要請が可能になります。
そして、対象地域として指定された都道府県の知事は、社会機能(特に医療機能)の崩壊を防ぐため、外出の自粛要請に加えて、学校や映画館、飲食店などの施設の使用停止や制限等の要請・指示、医薬品などの強制収用などが可能になります。

ここまではテンプレです。
みんなもう知っています。
基本的に、不要不急の外出自粛が「要請」に過ぎないことを。

だから、疑問が湧きます。
「法的拘束力のない自粛要請なんて…緊急事態宣言に何の意味があるの?」
「これまでも要請されてたんだから、何も変わらないでしょ?」

これは質問として大きな誤りです。

この緊急事態宣言にづく外出自粛要請に法的拘束力あるいは罰則がないことの本当の理由をお伝えさせてください。

法は社会を反映します。
だからこそ、各国で法は異なります。
「国際的に○○のような法律になっているのにどうして日本は?」という問いが、新型コロナウィルス対策に関係なくたくさんの場所で聞かれますが、その多くの回答が「社会が異なるため」というものに収斂されます。
たとえば、差別的な言動を規制するヘイトスピーチ解消法(通称)に罰則はありません。
他国では罰則付きの国もありますが、日本は罰則規定を置かないからヘイトスピーチは別にしていいということでしょうか?
全く違いますよね。
ヘイトスピーチは罰則がないから行って良いのではなく、現時点で罰則などなくとも、社会の力、文化の力でこれを抑え込むことのできる社会だと議会が判断してるのです。

同じです。
法的拘束力がなくとも、法律の基づいて外出を自粛するよう求められるのです。

「法的拘束力のない緊急事態宣言に何の意味があるの?」は質問が間違っています。
「今の日本社会は法的拘束力/罰則がなくとも人々が自発的に法を遵守し、行動する社会だ」と議会が判断したということです。
ですから、宣言された後は日本に住む全員が見せつけましょう。その判断は間違っていないと。
私たちは罰則や法的拘束力がなくとも自発的に法の趣旨を理解し、行動してやるぞと。
欧米や中国の人権制限をバーターにしたロックダウンとは異なり、社会と文化の力でウィルスと戦いましょう。

こんなものはレトリックだと思う方もたくさんいらっしゃると思います。
法的拘束力を持たせると休業への補償を政府ができないからだなどと感じる方もいらっしゃると思います。
政府が緊急事態を今さら宣言しても何も変わらないと感じる人もいると思います。
緊急事態宣言など発令されても、外出しなきゃいかんもんはいかんのだというご事情を抱える人もいらっしゃると思います。
その全てが、正しい国民の声だと思います。
そして、それを表現する自由がこの国にはあります。この法律に法的拘束力がないというのはそういった人々が自らの判断で行動できるように余白を置いているのだと信じています。

他国はすでにこの新型コロナウィルスとの戦いを「戦時下」と表現しています。
しかし、この国の人々、あるいはその文化は、人権制限に対する強い(あるいは美しい)懸念を持ち、社会と文化の力で法の趣旨を理解し、この緊急事態を乗り越えてられると信じられているのだと思いたい。


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