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あたたかな涙を

なんだかとっても壮絶な三連休だった。

一年前に戻ったみたいな時間で、でももう戻れないと分かっている場所で、だいすきなひとたちと笑いあえた、

きっとそれが、すべてだった。

だいすきなひとたちと、バイトを卒業する一つ年下の後輩たちに会いにいった。半年前からしたら、信じられないような出来事だった。この一年間はいろんなことがあったから、語りきれないことが山ほど。

大学生の頃アルバイトしていたカフェは、いまのわたしの価値観や興味をかたちづくってくれた場所だった。人への接し方を学んだ。誰かに大事にされたり、大事に想うことのあたたかさを知った。

顔を覚えてくれている常連のおじいちゃんとおばあちゃんが、あたかもわたしがまだ店員かのように、この新商品が美味しかったよ、器も素敵で、なんて一生懸命に話してくれて、泣きそうだった。わたしはその味を知らないのに。
目の前の人にとって、わたしが「この店のスタッフ」として認識してもらえていることが幸せだった。自分が確固たる役目をもっていることが幸せだった。

だって、だってわたし、しがない会社員だもん。だいすきだった一つ上の先輩はもう食事にさそってくれないし、目の前に立ちはだかるデスクトップはあまりにも眩しくて、ほかの仕事がしてみたいなあなんて、思っちゃってる。いつも言いようのない不安に押しつぶされそうで、自分に自信がなくて、後輩たちの前でカッコつくような社会人になんてなれてない。

東京に引っ越して、ひとり暮らしをはじめた家は、バイトをきっかけに出会ったものであふれている。
いつみても背筋ののびたお姉さんのくれたドライフラワー、お店に飾ってあった瓶、毎日のんでたコーヒー、いつも隣にいたお姉さんのくれたマグカップ、常連さんが贈ってくれた雑貨。

ひとつひとつに、思い入れがある。後輩たちのかけてくれた言葉、素直な笑顔、いつでも思い出せる。

たからもの。わたしのたからものだ。


思い出せばあたたかい涙のでるたからものがある。あのとき大変だったよねと笑いあえる仲間がいる。突然電話しても愚痴をきいてくれる会社の同期がいる。帰るよというと食べたいものは?と聞いてくれる家族がいる。こんなわたしのことも気にかけてくれる上司がいる。あのあとどうだった?と聞いてくれる、だいすきなカフェの店主がいる。いっしょにカフェをやろうねと、本気で話せるあなたがいる。

だから、大丈夫、ひとりじゃない、


寂しくなったら読み返そうと、自分のために書いた。


目の前のひとに、自分から先に笑いかけられるようになる。

これ、明日からの目標。明日はリモートワークで家にひきこもりだけれど。
まずは笑顔を咲かせられるように。