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幼稚園児だった私は、阿佐ヶ谷姉妹のごとく傘地蔵を演じていたら救われたのかもしれない

昔話をひとつ、供養させてほしい。

私が通っていた幼稚園では、毎月、小さなお誕生日会があった。そこでは誕生月の園児たちが寸劇を行っていた。そして寸劇のあと、誕生月の園児だけはその保護者が参加して、一緒にお昼ご飯を食べるというイベントだったように思う。

あれは私が確か、年長児のころだった。実は誕生日会の記憶は、その年長児のとき一回切りしかなくて、おそらく年少の時も年中の時も同じようになにか催し物がされていたはずなのだが、私の中での記憶は年長の時の一度きりだ。幼稚園最後のお誕生日会。同じ誕生月だったのは、私と、もう一人の女の子。私たちは二人で「傘地蔵」を演じることになった。おばあさんがその女の子。おじいさんは私だった。

幼稚園の頃、自分がどんな子どもだったかというのはあまり覚えていない。ただ、ちょっとぼんやりした子どもだったのだろうと思う。幼稚園の先生が「明日、〇〇(魚の入っていたプラ容器とか)を持ってきてください」と言っても、すっかり忘れていて、翌日、他の子どもたちが皆ちゃんと持ってきている中、私はそれ何の話?と首をかしげているような子どもだった。そのくせ、行動力だけは人一倍あったのか、遠足ではたいてい迷子になっていたり(断っておくが、私は自分が迷子になった自覚はない。ちゃんと決められた道を歩いていたら、いつの間にかみんながいなくなっていただけだ)。幼稚園にいる間も、不意になぜ私はここにいるのだろうと不思議に思い、他の子たちが教室にいる中で、一人園庭の遊具の中で石に水をかけて、水がかかった石の表面の色が変わっていくのを何度も繰り返し見ている、そんな子だった。

話を戻して。

かくして、傘地蔵で私はおじいさんになった。そう、おじいさんだ。あんなに可愛くてぼんやりしていておっとりしていて、セーラームーンに憧れ可愛いものに憧れていた私が、おじいさんである。

納得がいかなかった。
当時6歳になろうとしている私は、納得がいかなかった。

なぜだ。
なぜ私がおじいさんなのだ。
なぜ私がおばあさんではないのだ、と。

でも、今でも覚えているのは、私と同じ誕生月の子で、私と一緒に寸劇をすることになった子が、とても可愛くて、女の子らしい女の子だった、ということ。つぶらな黒目がすごく印象的で、確かに彼女と私とどちらがより女の子らしいかと言われたら、そりゃぁ向こうだろうなぁと思ったのを明確に覚えている。だから私は、傍目にはそうでなかったとしても、少なくとも私自身は、自分がおじいさん役を演じることに欠片も納得していなかったけれど、その一方ででもどう見ても私がおじいさんであの子がおばあさんだよなと、諦めたのだ。

自分が欲しいもの、自分がありたい姿を諦める、という原体験が、おそらくここにある。

私は、可愛いものが好きだ。女性的な人を見ると好ましいと思うし、女性らしいものも好きだ。着物だって、女性の着物のほうが男性の着物よりも好きだし、ふわふわしたものも、愛らしいものも好きだ。ドレスだって好きだし、そんな女性的なものを身に着けたいと思うこともある。けれど一方で、そんな女性らしいものや、女性らしい仕草は自分には似合わない、と言い聞かせてきた。もとから持っていた容姿も相まってだが、自分にはそもそも「可愛い」という形容詞は似合わないと信じていた。だから可愛い女の子を見ると、羨ましく思うと同時に嫉妬もした。それをあからさまに表に出すことはしなかった(少なくとも、しないように心がけてきた)つもりではあるが、自分の中に、ひねくれた自分自身がいるのをいつも気持ち悪く思っていた。

たぶん私は、寸劇をやるとき、自分がおばあさんに選ばれなかったことが、とても悲しかったのだ。少なくとも「おばあさん役とおじいさん役、どっちがしたい?」と問われた(記憶がなかった)ことが、あるいは「あなたはおじいさん役だけど、きっといい役だと思うわ」と伝えられた記憶がなかったことが、とても、悲しかったのだと思う。自分がXX染色体をもった女の子であるという認知を、許してもらえないような気がして、その気持ちを引きずったまま随分と大きくなってしまった。

人は、自分が思っている以上に他者からの承認を求めてしまうし、他者からの承認がなければ育つことができない。傘地蔵の、おばあさんを演じられなかったという些末な記憶は、私にとって、誕生日というとても大切な日に、誰にも受け入れてもらえなかったという認知を残してしまった。

じゃあどうすればよかったのか、ということを、ずっと考えてきた。自分が「おじいさんが嫌だ!」と言えばよかったのか。そうすれば、あの物静かで黒目がちな女の子は、淡々とおじいさんを演じたのだろうか。その子よりも女の子らしくない私がおばあさんを演じて、そのなんともスッキリしない気持ちを抱えたまま誕生日を過ごしたことになるのだろうか。寸劇をするのは二人。演題は傘地蔵。台詞のある役は、おじいさんとおばあさん。私が主張をすれば、それは相手の主張を退けることになる。それは何ともバツが悪い。

そんなことを、かれこれ30年ほど思い出しては考えていた。どうすればよかったのか。そして不意に、30年間ぐだぐだ事あるごとに思い返して不意に、思いついたのだ。別に、おばあさんが二人でもよくない?、と。

頭に浮かんだのが、阿佐ヶ谷姉妹の二人だった。あの二人だったら、時代が違えば冬の間、傘を作る内職をしていたのかもしれない。どちらかが町へ傘に売りに出かけて、けれどもちっとも売れなくて、売れ残った傘を抱えて家路につく途中、雪が積もったお地蔵様を見たかもしれない。お地蔵様の雪を払って、売れ残った傘をかぶせてあげたかもしれない。そして、家に帰って「みほさん(もしくはお姉さん)、今日ね、お地蔵さまがいてね」と楽しそうにお話ししたかもしれない。そんな妄想が、ふんわり頭の中を楽しくよぎった。

そうだ、別におばあさんが二人でもよかったのだ。
私がおばあさんをやりたいからと言って、あの女の子のおばあさん役を奪わなくてもよかったのだ。二人でおばあさんでよかった。一緒におばあさんでよかった。自分のありたい姿を、やりたいことをやるために、他の人の望みを蹴落とす必要はないのだ。時代は令和なのだから。

そこまでやって、私は、私の中の「おばあさんをやりたかったけれど、おじいさん役をやるものだと思って、やるしかないと思っていた幼稚園児の自分」に初めて、大人としての答えを示すことができた。


幼稚園児だった私は、阿佐ヶ谷姉妹のごとく傘地蔵を演じることはできなかったけれど、令和を生きる私は、誰かを蹴落とすことなく、自分がありたい自分を演じることができればよいのだ。

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