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夫という人。


noteでもしばしば話題にしている、夫という人。



夫について言及したのは、産後の暗黒期について書いた時だった。当時は仕事に復帰して間もない頃で、溜まりに溜まった鬱憤が爆発し、黒い感情に背を押されるようにして夫への思いを書いたような気がする。

このあとも、いくつか記事を書いた。どうにもならない自分の置かれた環境や、夫に対する不満や不公平感を綴った記事が多かった。というか、ほぼそれしか書いていない。

それもあってか、読んで下さった方から「夫さん、ひどいですね」というお声を頂くこともあった。私自身、夫に対して「なんてひどいやつだ」と思ったこともある。


が、それでも夫が超絶最低最悪野郎なのかと問われたら、それには「否」と答えるだろう。


そう。

夫は意外と、いい人なのだ。



どうせ惚気かよ、みたいな感想。


ここでツッコミを入れられた方もいるだろう。

なんだよ。これまで散々、夫のことをアレコレ言っていたのに、結局は「でも夫が一番です」みたいなことになるのかよ、と。

それは至極真っ当な感想だと思う。事実、夫についてあれやこれやと呟きながら、私自身でさえ「でもいい人なんだよな」「頑張ってくれてるんだよな」「そんな人をこんなにボロクソに書いている自分ってなんなんだろう」と考える時もあるし、そんな矛盾に対して「うわぁ」とドン引きすることもある。


それでも、夫はいい人なのだ。

なので今回は、夫について書こうと思う。



誠実な人。


夫を一言で表現するしたら「誠実な人」だと思う。

これは学生時代から感じていたことで、当時から「夫さんってどんな人?」と問われたら「誠実な人」と答えていた。「真面目」でも「優しい」でも「かっこいい」でもなく、「誠実な人」。それが、なんとなくピッタリ当てはまる。

どこに誠実さを感じていたかというと、「下宿先に遊びに行った時、必ず駅まで送り迎えをしてくれるところ」だった。

付き合っていた当時、私たちは大学生で、それなりに大人だった。夫の下宿先は駅から徒歩10分の場所にあり、途中に危ない道があるわけでもなかった。だからわざわざ送り迎えをする必要はないのだが、それでも夫は私が駅に着く時間には必ず迎えにきてくれて、そして駅まで送ってくれた。サプライズやデートの計画を立てるのはとても苦手だったが、「付き合って何年経っても、必ず駅まで送り迎えをしてくれる」というのは私にとってポイントが高かった。一種の愛情表現のような、「自分を大切にしてくれている」という証のように感じていた。

そんな夫だから、結婚したい、と思うようになった。



忍耐強い人。


結婚してから気づいたのは、夫は「とにかく忍耐強い」ということ。一緒に生活をし始めて、私は彼の半端ない忍耐強さを目の当たりにした。


とにかく耐えるのだ。ただ、ひたすらに。


毎日7時に病院に行って回診して、7時半からカンファレンス。8時半に手術室にやってきて手術開始。15時ごろに手術が終了し、昼食を食べないまま病棟業務を行い、回診し、カンファレンスをし、20時にやっと食事。そして帰宅は22時を過ぎる。

そんな生活を、ごく当たり前にやってしまう。そんな忍耐強い人だ。


あれは結婚1年目の頃だったか。夫の担当患者さんが、急変した。一命を取り留めたものの、危険な状態が続いていたのだろう。夫は、それからおよそ300日間にわたって、毎日病院に通い詰めた。平日はもちろん、土日祝日関係なく。毎日毎日、朝から夜まで職場に詰めていた。

それでも、夫はその状況に不平をいうことはなかった。それが担当医としての自分の役目なのだと、さも生きていくには酸素が必要なのだというくらいの当然さで受け止めていた。それくらい、忍耐強い人だった。



誠実で忍耐強い夫との結婚生活。


医師の働き方について、今ここで述べるつもりはない。

ただ、結婚当初の夫の働き方はそんな状態で、夫自身はそれに疑問を持つ様子はなかった。私はと言えば、早朝15分と帰宅後1時間あるかないかの夫婦の時間に、若干の不満を持っていた。毎回、必ず駅まで送り迎えをしてくれていた夫だったのに、それが結婚後は跡形もなく消えてしまったように思えた。

おそらく、誠実さと忍耐強さが患者さんに全振りしてしまったのだ。


それもあってか、とにかく夫婦の時間がなかった。

結婚式も旅行も新居も、一緒に考える時間はとても短かった。白紙の地図を広げて「どうしようか」と頭を悩ませる余裕はなかった。夫の仕事を邪魔してはならない、夫の負担になってはならないと、私はひたすら「自立した妻」になるように頑張った。夫婦の決め事があっても、まず私が面倒な下準備を行い、大枠を作り、ある程度の形が整ったところで夫に提示する、ということが多かった。

結婚当初、「そのうち夫なんていないほうがいいって思うよ」と先輩の女医さんに言われたこともあった。それでも私は夫と一緒に過ごしたかったし、それが叶わない日々はまさに修行にも似た時間だった。


最初から夫の多忙をわかっていて結婚したのだろう、と言われるかもしれないが、実はそうではない。夫の職種は本来そこまで多忙ではない。緊急手術も少なく、総じて時間外労働も少ない部類だ。

ただ、夫の職場環境が少し変わっていた。その職場だけは長時間労働が突出して多かった。早朝から深夜までの労働が当たり前、土日祝日も患者さんを見るのが当たり前、当番制なんてなし、交代で休みを取るのもない。夏休みは平日5日間取れるが、業務の関係から金土日の3日間で終了、という先生もいた。それでも当初、夫は「半年も過ぎれば月一回くらいは休めるようになるから」と言っていたが、それも果たされないまま立ち消えてしまった。多忙な夫を前に、それを受け入れられない自分がとてもダメな存在のように感じていた。

余談だが、夫と同じくらい働き、家事労働を一手に担っていた私の方が所得は多かった。


夫の美点である、誠実さと忍耐強さ。

それを仕事に全振りしてしまったがために、夫と共に生活していた私も、夫の仕事に対して誠実で忍耐強くある必要があった。夫が夫になったからこそ、彼との生活は大変だった。

理解はしていた。病に苦しむ患者さんと、健康で仕事をしていて経済的にも精神的にも自立している妻となら、どちらを優先すべきかは一目瞭然だ。

だからこそ私は、夫婦でありながら、「自立して生きよう」「自分だけで自分の人生を楽しもう」としていた。夫がいないから寂しいとか、私と仕事とどちらが大切なのかとか、そういう言葉を言わないように必死だった。一人きりで過ごしていたり、あるいは夫から「家族よりも仕事を優先するのが当然」という空気を察するたびに、それについて疑問を持ちつつも「私のために仕事をやめてくれ」とまでは言えなかった。「夫に寄りかからない女こそ立派である」という無意識のしがらみが、心に絡みついてうっとうしかった。


その結果どうなったか、というと。

暗黒期に突入したわけだ。



自分は果たして、妻として適切なのか。

夫にふさわしいパートナー像について考えたときに、ふと『プロ妻』という言葉が思い浮かんだ。

1. 仕事のワガママは許すこと
2. 映画観賞についてこない
3. 目標を持ち、一生懸命な女性
4. “いつも一緒”を求めない
5. 女の心情の理解を求めない
6. メール返信がなくてもOK
7. 1カ月半会話なしでも我慢すること

これは、ある俳優が「結婚の条件」として提示したものらしく、夫にもこういう人がいいのかもしれない、などと考えている。条件を満たすような人はそこまで多くはないのだろうが、それでもこの世の何処かにはいるのだろう。

それでも夫はなぜか私と結婚したし、私たちはまだ離婚せずに夫婦でいる。

一度、「なぜ私と夫婦関係を続けているのか、もっと家庭にフルコミットして文句を言わない人はいるだろう」と夫に伝えたことがある。それに対して夫は「ならそっちこそなぜ、自分と離婚しないのか」と問い返してきた。明確な答えはなかった。だからいまだに、なぜ夫は私をパートナーにし続けているのか謎だ。



本音を言えば、夫という人と、良い関係を続けたい。


少し前に、夫とどういう関係性を築きたいか、ということを真面目に考えたことがある。

結論は「良い人間関係を築きたい」だった。

男女とも夫婦とも違うかもしれないが、人として良い関係性を築きたい。少なくとも「刺し違えるような関係性」にならなければいいと思っている。この結論に至った時、私は少し、気持ちが楽になった。以前のような男女関係、あるいは夫婦関係には戻れないかもしれない。だが、一人の人間として良い関係性を築いていければ、そこに夫婦としての情がなくても構わない。そう振り切って考えられるようになった。


そして、そもそも、という話なのだが。

実はこの一ヶ月、想定外のことが起こり、私たち夫婦を取り巻く環境が急激に変化した。そして良い方向に向かいつつある。正直、この変化は私たち二人の努力ではどうにもならなかった、ただの偶然で生じた変化だ。


しかし実際に夫の労働環境が改善してくると、夫の良いところが良いところとして素直に受け入れられるようになってきた。


激務に粛々と耐える忍耐強さは、今は育児に遺憾なく発揮されている。

夫は基本的に「できない」と諦めることはしない人だ。息子と二人きりで一日中過ごしてくれと言っても、決して無理とは言わない。泣いたら泣き止むまで抱っこをし、寝かしつけは何時間かかっても完遂する。上手にできる、というのではなくて「寝るまで」「泣き止むまで」「ご飯を食べるまで」ひたすら忍耐強く付き合う。

一年近く前から発揮されていた「夫の育児力」というものを、最近になってようやく、素直に受け入れられるようになった。(とはいえ、育児に主体性を持つまでには一波乱あったので、もっと早くにその能力が発揮されなかったのかというのは未だに思ってしまうが)


だから今、夫に対して「刺し違えてでも」という感情はなくなりつつある。




10年後に夫婦を続けているかはわからないけれど、少なくとも夫の隣には誰かがいる気がする。


昔は私から離婚を願い出ることを考えていたが、今はむしろ、私が愛想を尽かされて離婚を求められるかもしれないな、などと考えている。noteを読んでいただくとわかるように、私はいろいろと、根深い。前向きとかポジティブには振り切れない人間だし、意識をしないと負の感情に飲み込まれることも多い。だから一緒にいて楽しいと感じてもらえる人間なのかということを、いつも考える。


それでも夫はいい人なのだ。

いい人だから一緒にいてくれているのだろうか、とも感じているし、いい人だから仮に私と婚姻関係を解消しても、すぐにいい人が見つかるだろうという安心感がある。




そんなわけで。

夫という人はとても、良い人なのだ。








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