自分のnote記事、ついつい読み返しちゃう人いますか
気持ちとしては、自分語りは20%程度のつもりで、むしろ聞いてみたい気持ちでこの記事を書きますが、私はおそらく自分の記事を、そこそこ読み返している方だと思っています。
頻度的には、私はそこまで頻繁にスキが付くほどの立場ではありませんが記事数も多くはなって来たので、スキの通知が来た該当記事が懐かしかったりすると、ついつい自分でも改めて読みます。
普段は、誤字脱字チェックを適当に投稿をポーンとしてしまうので、大概ミスに気づくのはこのタイミングです。気が向けば修正するようにしています。気が向けば。(なので気づいても結構そのまま…)
流石に固定記事にしているものは、ご挨拶程度のスキもあると思いますが、比較的通知の頻度も多く、私としても思い入れの強いものなので、ある意味内容は頭に入っており、高頻度にわざわざ読み返すことはありません。
自分の記事を読み返してみると
「いつも同じ話を、少しだけ言い換えているだけおじさん」。この印象がすごく強いですね。
導入部分や、中心となるトピックは毎回違うのですが、結論部分としては似通ったものが多いようですし、こざかしいテクニックを使って誘導しているようにも感じます。
これはひとつ、情報のインプットソースの偏りが激しい or 頭が凝り固まってきている。と言えるのかもしれません。
今の自分の情報収集法に、危機感があります
どう表現すればよいのか解りませんが、30歳前後の頃よりも「なんでもかんでも拾いに行く心理」が弱くなっていると感じます。
おそらく、30歳前後…10年前よりも沢山の活字を読んでいるし、世の中の利便性も高まり、情報収集の効率性もアップしているはずなのですが、何というか、幅が狭い。
先程の「なんでもかんでも拾いに行く心理」は、もしかすると今の自分にはまったく接点がなく、繋がりが弱いことでも興味を持てた自分が失われかけている、とも言えるのかもしれません。
例えば、元販売員である私が、自動車販売について興味を持てるのは、販売する商品・価格・プロセスは違いますが、お客様に商品を売るという行為だけは、近しいものがありますし、そもそも車は好きです。
父親になった私が、ベビー用品の業界に興味を持つのも、消費者の1人であることからすれば自然です。
元々のガジェット好きな私が、連動性の高いスマートホームに興味を持つのも、テクノロジー的な繋がりがあるように思います。
つまりは、自分の現在地から線で繋がっていそうなところにしか関心が向かない人間になっているようです。
でも、これは私にとって心地良い情報であり、ノイズ(この思想が、そもそも間違ってるけれど)が少ないので、受け止めやすいのだとも言えるのだろうと想います。
あまりにも自分好みの情報ばかり
新聞も読みますが、やはりwebからの情報収集もそれなりにあります。
そして、その「あなたにおすすめ」の精度が、最近あまりにも高すぎて、自分を中心とした延長線の情報しか出てこなくなってきたように感じます。
確かに、一時期興味が薄いものは、どんどん興味なし、と排除していたのですが、もしかするとそれが間違いだったのかもしれません。
noteにおいては、ミュートは行っていないのですが、フォローを基本しないスタイル(理由はまた今度にでも)です。しかしながら、noteのおすすめロジックが優れているのか、いつもまあ、的確に興味深い記事がタイムラインに並んできます。
ともかく、自分の気になる方向の情報がポンポンと目の前に出てくるので、そういう情報を中心に得て、学んでいる状況が続いているとも感じます。
昔は、何でも手を出してみた
基本的に、クリエイティブなことが、右手を挙げて得意な方ではないのですが、例えば小売り店頭POPのデザインに手を出してみたり、IllustratorやPhotoshopなんかもやってみようとしました。
また、今も昔も残念ながら、私は基本的には興味が無いのですが、骨董品を見てみたり(私のレベルではその奥深さが理解出来ませんでした)、お酒はほとんど飲めないのに、多種多様なカクテルの名前と中身の配合を覚えようとしたりしました。
残念ながら、ちょっと面白そうかも、と思い始めても実生活との乖離が大きすぎて、自然消滅を繰り返すのですが、一旦は体験してみようと思う「きっかけ」が、あちらこちらにあったように思います。
これは交友関係の幅広さなどにもよるんでしょうね。
便利で効率を高める、だけだと先細りそうな気がしていて
ヒマかと言われれば、そこそこ忙しいので、必要だったり、手放しで興味がある情報ばかりをインプットしている状況は続いています。
そして、今日時点や明日。今年中くらいは特に困らないんだと思います。
実はポッドキャストや音声SNSみたいなモノを、今の正直ほとんど興味がないのですが(そもそもまったく聞いてもいない)、あえて興味が無いからこそ、やってみようかな、なんて思ってはいますが、それはまた別のお話で。
戻りまして…「自分の記事って読み返しますでしょうか?」
私は、少々恥ずかしい気持ちがありながら、実は自分の記事を読み返すのは好きです。なぜならば、恥ずかしくはあるものの、その内容は自分で書いたことなので、興味が無い分野の話は絶対になく、また、自分にとって不快な内容は基本的にありません。
まあ、自分にとって不快に感じる記事を自分で書けるなんて、それはスゴイ才能のような気もします。
自分の思想や、考え方の方向性、興味の視点、(恥ずかしくも)不快にはならない。なので、自分の書いた記事は、世の中である意味一番読みやすい読み物だと思っています。
ただ、ほとんど勉強には当然ならないし、気づきもないし、刺激もないし、発展もない。
唯一は、その記事を書いていた当時に気持ちに振り返り、今の思想との変化がある場合に、そこを深掘りするようなことは出来るのでしょうが、まあナルシストっぽいし、どうなのかなあと思っていたりします。
noteの運営さま、少し「あなたへのおすすめ」ロジックを「アホ」にしてくれません?
関西人なので、「アホ」を使いました。
今の「あなたへのおすすめ」は精度が高すぎます。一応注目記事は、様々なジャンルのモノが飛び交うので、自分との接点がほとんどない記事に多数出会えるのですが、さすがにちょっと自分の現在地との距離が遠すぎて、じっくりは読み切れません。
なので、
noteおすすめちゃん
「まあ、あなたはこういうのは、なんか勘みたいなものなんだけど、うん。多分好き?なんじゃないかな?自信ないけど。うん」
くらいのリコメンドをしてくれるといいな、とか思っています。
こういうニーズはそもそも少なそうなので、実装される訳がないのですが、WEBサービスにおける「おすすめの精度が高すぎる状況」は、これからさらに加速するのではと思っています。
そして、それは心地良く、不快な情報や(その時点で自分は)不要と思っている情報が排除され、効率性が大きく高まるのでしょうが、
どんどん、AIやロジックの精度が高まるのは、絶対の未来の中で、ほんの少しだけ「隙があるおすすめ」を求めている、わがままな私です。
無料で使わせて頂いているのに、文句言うなって?すみません…
コジマサトシ/トナリコネクト
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