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パンパシフィック2022

皆さんこんにちは。これを読んでいる情弱以外の人は知ってるでしょうけどオーストラリアで試合してきました。ドウギとノーギの大会に出て優者出来ました。今はオーストラリアから東京へ飛行機で向かっているところです。なんでオーストラリアまで行って試合したのかというと世界大会などの大きな大会に出場するにはポイントが必要でそのポイントが出る大会が今年は日本ではなかったこともあり手持ちのポイントがあらへんくて「これゃ困ったもんですわ!」てな感じになって「ちょうど良いタイミングでオーストラリアでポイント獲得できる大会あるやんけ!」ってことでオーストラリアに行った次第です。西の方出身なもんでちょいちょい方言混じって読みずろうなるかもしれゃしませんが良かったら読んで頂けると嬉しいです。
 正直ポイントを取る為にわざわざオーストラリアまで行くのは怠いなと思うところがありました。ブラジリアン柔術はアマチュア競技でほとんどの大会は優勝したとて賞金が出るわけでもあれゃしません。むしろ出場費を払わないといけゃしません。もちろん航空券代もかかります。貯金が減ります。三井住友銀行の貯蓄が七桁切るとCoCo壱でトッピングを選ぶ時の指が震えます。トッピングはチーズと豚しゃぶが好きです。「じゃあなんで出場するの?」皆さんそう思われたでしょう。それは、、、今は亡きおじいちゃんの夢を背負っているからです。優しくて謙虚だったおじいちゃんの唯一の望みは「知之のブラジリアン柔術世界大会制覇」でした。っていうのは嘘です。嘘ついてごめんなさい。おじいちゃんは僕に公務員になることをよく勧めてきました。その度「ファックユアアッソール」と返しました。出場する本当の理由は正直自分でも定かではありません。理由を探す為に初めて試合に出場した16歳の頃、約13年前に時を戻そう。あの頃の僕は社会的に何者でもありませんでした。何者でもないのに俺はきっと凄い奴なんだと思いたいイタいやつでした。いわゆる情弱でした。凄い奴なはずなのに勉強も大して出来ないし周りの友達から別に凄い奴だという評価は受けていませんでした。だから薄々気付いてました。俺は凡人なのだと。そして凡人らしく並の大学に行き並の会社に就職し並の女と結婚して並の子供を作り並の寿命で死んでいくような気がしていました。この頃の思想が酷く歪んでいるのはお許しください。まだ16歳で情弱なので。そんな風に絶望しかけていた僕にとって柔術は暗闇に刺す一筋の光でした。地獄に神が垂らした蜘蛛の糸でした。米の上にある梅干しでした。オタサーの姫でした。おっぱいにある乳首でした。自分自身を凄い奴だと思えるようになる為に試合に出場していたような気がします。今どんな理由を思いつこうと所詮後付けではあります。柔術自体なにより楽しいと感じたし試合で活躍するトップ選手達がかっこよくてそれに憧れていた、とか実際いろんな理由が折り重なった上で行っていたことだとは思います。
 心の底から自分自信を凄い奴だと思えるようになりたくて試合をしていたので毎回試合は恐ろしいものでした。負けることは社会的存在価値を否定されるようなことだと捉えていたからです。初心者だったあの頃の方が今より100倍緊張していました。試合一週間前くらいから緊張でよく嗚咽していました。試合前夜はいつも緊張で眠れずいつも寝不足で試合に臨んでいました。そんな心持ちでやっていた僕の勝率が良かったのは必然だと思えます。そこまでガチで取り組んでいる白帯や青帯は普通いないからです。負けることに恐怖することでより練習に熱が入りました。勝った時はホッとしました。さらなる高みを目指せることに喜びました。そういう勝負の繰り返しの果てに今の僕があります。
 少しでも自分を凄い奴だと思う為っていう動機は今回のオーストラリア遠征でもあったんかな?今回は対戦相手に明らかな格上はおらずある程度情弱でない人なら「まぁ橋本優勝するだろうな」と思ったことでしょう。僕も95%優勝するだろうなと思っていました。だからそういう動機はなかったかも。でも、優勝する可能性が95%でも怖さがないわけではありません。5%が物凄く恐ろしい。もしかし勝つ可能性が5%の方が開き直れて怖くないかもしれない。恐怖を乗り越えることで自分を凄い奴だと思おうとしているのか?そうかもしれない。自分を凄い奴だと思えたところで意味はあるのか?そんな風な思い込みは情弱のはじまりなんじゃないか?
 苦難を乗り越えていくことで人間的に向上していけるんじゃないかと思っていました。今も少しくらいは期待しています。しかし数えきれないほどの試合を乗り越えた今、立派な人間になれたかと言えば全くそんなことはありません。歪み偏った思想が少しだけほぐされた程度。ゴーダマ・シッダールタが悟りを開く為にいくつもの苦行を経験した結果「こんなの無意味や」と悟ったように無意味だったなと思うことがあります。
 いつも馬鹿なりにいろんなことに対して思い悩み考えるんだけど大抵「無意味やな」で片付く。別に無意味で良いやってなる。立派な人間ってなんや、強い人間ってなんや、人間は人間やろってなる。これは思考停止ってやつなのか?そうかもしれない。
 今回の遠征の意義はいくつも思いつく。それと同時にそんな意義全て無意味でしょーもないなとも思う。しょーもなくても全く構わない。最高だったから。オーストラリアで沢山の人に親切にしてもらった。大好きな柔術を教えただけで沢山感謝された。オーストラリアで食べたバーモンドカレーはクソウマだった。憧れの選手と柔術の喜びを分かち合えた。最高だった。

サポート多いと外食しがち。ご馳走さまです!