見出し画像

夢の中で父親に怒鳴り返したら、何かが変わった。

オーストラリアのアデレードという街にいる。

昨日は24時間空いてる図書館で野宿(?)をした。もちろん、熟睡できなかった。だからさっきまで、公園で寝っ転がって、眠っていた。芝は濡れていたから、アスファルトの上で寝た。日本で野宿していたときは、マイナス10度の極寒の地だったから、「俺は寝袋なしじゃ生きていけない」と弱気だったけれど、こちらにきてもう俺はどこでも寝られるんじゃないかと思える。下が硬くても、ボコボコしていても、そんなの関係ねえ!

***

公園で寝ていたとき夢を見た。夢の中で母さんが笑っていた。それを見た俺は幸せだった。束の間、父さんが現れた。父さんが母さんに怒鳴った。笑っていた母さんは、しょんぼりした。俺も悲しくなった。母親とはいつも繋がっている感覚がある。今はそれをすっかり忘れていたけれど、まだ小学生くらいの頃はいつもそれを感じていた。母が笑えば、俺も笑えた。母が心配すれば、俺も心配になった。

父さんが母さんを怒鳴った時、気づいたら俺は、父さんに「やめろ!」と怒鳴り返していた。もちろん夢の中。現実にそれをしたことはない。しかし、子供のころから俺はずっとそうしたかったのだと気づいた。

不思議なものだ。父さんも、母さんも、どちらも親。どちらが欠けても、俺は生まれてこなかった。どちらも俺を愛してくれているし、俺はどちらも愛している。しかし、父さんが母さんを怒鳴ったとき、俺は母を守る選択をした。女だからということはある。けれど、それ以上に母と子には何か大きなもので繋がっているのだと思った。

***

父の家庭における役割は、母を笑顔にすることだ。笑顔になった母は、子に無条件の愛を注ぐ。その間、父は母を笑顔にすることだけに徹する。父の仕事は、子がもう少し大きくなった後にやってくる。それは、子を知に導くことだ。子は父の背中を見て多くを学ぶ。

これが理想だと知ったとき、うちの家族は、父さんが母さんをいつも笑顔にしてやれたら、もっと良くなっただろう、と思った。子である俺は、母の笑顔を見て、いつも安心できたのだろうと思った。だが、俺は父を責める気はまったくない。

いまでも覚えている。早朝夜明け前、文句1つ言うことなく、1人仕事に出かけていく父の背は、とても格好良かった。それを典型的なサラリーマンだとか、揶揄する社会はひどく残念だ。

私は、いつも布団の温もりを感じながら、門が閉まる音、庭を抜ける足音、車がエンジンを鳴らす音、それが段々と遠くなっていくのを静かに聞いていた。1日の始まりを感じながら、「いってらっしゃい」といつも心の中で唱えていた。

***

さて、この夢を見たとき、私の中にいままでとは違う感覚が起こった。どういうわけか、以前よりも母に優しくなれる自分がいるのだ。それは母の課題だと思っていたものが、実は父の課題でもあり、家族全体の課題であると知ったからだ。それだけではない。父に対しても優しくなれる自分がいる。それは父の課題ではなく、社会の課題であり、社会の構成員である自分の課題でもあると知ったからだ。

***

きっと俺は少なからず、被害者意識を持っていたのだと思う。表面的にはそんなことはないと言いながらも、一番深い、根元の部分では、「家庭の教育がもう少し、こんなにも苦しまなくてもよかったのに」と思っている自分がいた。それは、ちょうど先生を辞めた頃に生まれたものだ。教育の知識が深まれば深まるほど、家庭内教育の、粗ばかりが目に入るようになっていた。

***

被害者意識は、生産意識と真逆なところにある。いつまでも、自分が生産しなければ、被害者意識に束縛されつづける。しかし自ら社会に対して働きかけられるとき、被害者意識は消える。自らの信じる善のために、世界を創造しはじめたとき、それが被害者から生産者へと変わる瞬間だ。そんな人間を自立人というのだろう。

さあ、何を信じる。何を善とする。何を大切にしたい。これだけは絶対に譲れない、その何かとはなんだ。

旅はつづく。

***

<追記>

読み返していたら、とても私の父親が横柄で母親は幸せにならなかった、のように聞こえてならない。誤解を招いて、これをお読みの方に、私の父親が悪者にならないよう、追記させてもらうことにした。私のことを知らない多くの人には、そんなことはどちらでもいいことだが、もし私と近しい人が読むことを考えて。

私の父は母と口論になることはあったものの、それは質の悪いものではなく、健全なものだったと今では思う。そう言えるのは、父が体を悪くし入院したときに、夫婦愛を垣間見ることができたからだ。

それは子には見せない、父と母の間だけにある温かさだった。それを見たとき、私は大きな安堵をおぼえた。「なんだ、お二人幸せじゃん」と思った。父と母に本物の愛が通っていれば、その愛情は夫婦の間をあふれ出して、子に自然と流れていくのだと思う。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?