写真で振り返る秋のパリ
6年もドイツに住んでいたがパリに行ったのは最後の年の1度だけだ。自分がドイツに住んでいた2013-2019年はISの脅威でテロが多発していたため中々気軽に行けるところではなかった。フランクフルトからパリは電車でも行ける国内旅行とさして変わらないので残念だった。
旅行した当時の文章をここで再投稿する。
多くの音楽家がいた街
ここにバッハが座って弾いていたのか。ここをモーツァルトが通っていたのか。初めてドイツにきた時全てのことが新鮮で少しでも多くの感じようと吸収しようと貪欲だった。いつの間にかそんな感覚はなくなっていき日曜日に聴こえてくる教会の鐘の音もただの生活音になっていた。
ドイツに長く住んだことによって今まで特別だったことが当たり前のことになったというのは、それが自分の一部となったということでもある。それは喜ばしいことでもあるのだが一抹の寂しさを感じることがある。
パリに行くことにした時久しぶりにその興奮を感じて安心した。慣れただけではなく自分の感受性が鈍ってしまったのではないかと不安になっていたからだ。
ドイツからパリ行きの電車に乗っていると突然アナウンスがフランス語に切り替わり、駅に降りると全てがフランス語になった。みんなフランス語しか話していない。当たり前ではあるのだが陸続きで違う言語を話しているのは未だに不思議に感じる。
島国の感覚
パリの街並みはイメージ通りの色合いだった。南ドイツのようにカラフルなこともなくベルリンのように無機質でもない。バロセロナに似た少し気品のある雰囲気が漂っている。
カフェがとにかく多くどこも繁盛しているように見えて不思議だった。あやはりフランス人というのは食にお金を費やすものなのだろうか。
光のあたるところにはそれだけ濃い影もある。路地に入れば汚いし地下鉄は仕上げを放棄しているよう雑な仕上げになっている。使えれば一緒だと言わんばかりだ。しかしベルリンで感じるようなどす黒いオーラはあまり感じなかった。
フランスの人々
こちらが明らかに観光客な装いで英語で話しかけても全てフランス語で返ってくる。最初英語でも途中から全てフランス語になる。こっちが分からなくてもそんなことは知らないという感じだ。
しかしそれは決して意地悪をしているわけではなく単純に話し慣れていないように見えた。日本人は同じように話せないが申し訳なさそうにたどたどしく話そうとするがフランス人は堂々としている。そもそも申し訳なさそうにする必要なんてない。
幸いなことにドイツでの生活で"相手の言いたいことを状況と少しの単語と身振りで理解する"という能力がかなり発達している。相手がどんなに滅茶滅茶な英語を話してきてもほぼ何が言いたいかわかった。
パリ管弦楽団
ついた日はパリ管弦楽団を聴きに改装されたばかりのフィルハーモニーに行った。全て初めて聴く曲だったがその音の自由さと色彩感に感動した。自分の思い描いていたフランスそのものな音だった。
決してうるさくならない金管、音の煌びやかさや軽さも心地よかった。常にドイツオーケストラばかりを聴いていたからとても新鮮で刺激的だった。
ドイツのオーケストラの演奏で疑問に感じることのある"音の密度"のようなものがパリ管弦楽団はとても健康的に自然に聴こえた。
パリの観光地
翌日はノートルダム大聖堂やエッフェル塔や凱旋門を見た。ノートルダム大聖堂は素晴らしかった。13世紀にこんな建物を作ることができたなんて信じられない。あの後火災が起きてしまったのは残念過ぎる。
エッフェル塔が建てられたのは130年前のパリ万博。そこにはドビュッシーも来ていたんだなと感慨深い気持ちだった。建物自体はただの塔なのだが、そこにその当時の人々の期待や夢が詰まっているように感じた。
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モナリザに群がる人々**
そしてその翌日にはルーブル美術館、オランジュリー美術館、ピカソ美術館を見た。ルーブル美術館はとにかく城が圧巻。展示物がただ城に飾っている絵というレベルに見えてしまうくらいだった。
最も印象的だったのはモナリザの周りに群がり手を挙げてスマホでどうにか写真を撮ろうと頑張る人やひたすらにモナリザと自撮りをしている人たちだ。
絵を見にきたのではなく"絵を見てきた"ことを周りの人に伝えたいことが第一なのだ。なんとも滑稽な様子。もはや人がiPhoneに操作されているようにさえ見えた
教科書で見ていたこの像が意外に小さくて驚いた。しかも通路にぽつんと飾られていた
あまりにも大きな建物なので全部を見回ることはせず2時間ほどで帰った。全部くまなく鑑賞したい人はかなり余裕をもって計画を立てた方がいいだろう。
モネの美術館
オランジュリー美術館はあまり大きくない建物にたくさんの絵が展示されておりとても見やすかった。教科書で見たことのあるルノワールの有名な絵や、メインであるモネの睡蓮の絵が展示されていた。
近くで実際にみると実物でしか出ていない色がたくさん見える。近づいたり離れたりして見てもまるで違う絵に見え、筆の跡から人のあたたかみのようなものを感じる。
絵画も音楽と全く同じだ。実際に生でみると完全な別物。多くの興味がない人はこの違いを体験したことがないからだろう。だからこそそのきっかけを作れるような人になりたいと思った。
モネの何枚もの巨大な睡蓮の絵を見ているうち、同じ景色も見る時で全く違った物に見えるのだなと思った。それも音楽と同じだ。
歳を重ねると、ということもあるがその時の精神状態で緑のものも紫に見えるということだ。色んな見え方をできるようになるにはそれだけ様々なことを感じてくる必要があるということでもある。色んなものを見させてもらえて幸せだなと思った。
ピカソ美術館
ピカソはバルセロナでもたくさん見たが最も好きな画家のうちの1人だ。ここには後期の作品が多く展示されており、特に亡くなる直前の作品はすさまじいエネルギーだった。
ピカソは天才的な画家で幼い頃から完璧なデッサンをした。画家だった父親は幼い息子のデッサンを見て画材を売り払ったと言われている。
15歳頃の作品も展示されているが完璧に見える。しかしそのためピカソは、子どもの頃に誰もが描いている「頭から直接手足の生えた人間」のようなものを描いたことがなかったという。
「子どもの描く絵こそが、感じたことを純粋に描写している」と思っていたピカソは、自分がそのような絵を描かなかったことを悲しく思いキュピズムと呼ばれるデッサンにとらわれず感じるままを描く芸術を発展させていったと言われている。諸説あるが。
もちろんめちゃくちゃに書いてあるわけではなく、崩れた中にも強いメッセージ性があり、調和よりも内に秘めたものを直接伝えるというもの。音楽も含めた20世紀の芸術全体の傾向。"生きる"ということにすごく執着しているようなそのエネルギーが好きだ。
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パリ・オペラ座**
子どもの頃ビデオで観ていた豪華絢爛な劇場。日本的な感覚なら見っともないと思ってしまうほどに贅沢の限りを尽くしたような豪華さ。これはフランスがパリの中央集権にして全ての富を集めたからこそできたもの。その時の民衆は気の毒だが、その代わりこんなに素晴らしいものをつくりだしてくれて処刑された王に感謝した。
バレエはどこか野暮ったいというかあまりエレガントさを感じることはなかった。ドイツのバレエに共通したどこか繊細ではない感じ。
曲はとてもアメリカンなもので、オーケストラは気持ちが良いほどに軽く明るく派手な音だった。トランペットも明るいが耳障りなことはなく、軽すぎることのない輝かしい音。この輝かしさのようなものはどんどんだした方がいいと思った。ドイツにいるとつい太く暗い音を求めがちになる。
一番安い席はバルコニーの端だった。相当乗り出さないと舞台は見えないが個室のようになっている。昔の貴族の席だ。貴族はオペラを観るときに個室で談笑したりワインを飲みながらお気に入りの歌手の時に身を乗り出すというような観方をしていたらしい。
オルセー美術館
オルセー美術館ではルノワールやゴッホ、特別展のピカソの青の時代を見ることができた。ゴッホは初めて見たが怨念のようなものを感じるような毒毒しい絵。エネルギッシュで好きだったが、絵というのはつくづく評価されるかされないかは紙一重だと思った。
ダリ美術館の近くの公園に画家がたくさん絵を売っているところがある。そこにはとてもきれいな絵がたくさんあった。みんなタバコを吸いながらひたすらに描いている。ゴッホもあの中の1人だったのかなと想像した。
館内のレストラン
ルノワールの有名な絵にピアノを弾く2人の少女のものがある。オランジュリー美術館には小さいサイズのものが展示されていて、オルセーにはもっと大きなものがあった。全く同じ構図だ。なんで二枚あるのだろうと不思議だったがよく見ると髪の毛の色使いが少し違う。
他にもモネやマネの絵も展示されていてとてもきれいだった。浮かび上がるような立体感がその時代のフランスの音楽と似ていて好きだ
多くの芸術家が訪れ勉強し活動し、多くの人が憧れた街。ドイツの大きな街とは全く違った魅力があった。
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