中島らもというジャンル ガダラの豚 中島らも


あなたがもし始めて行く飲食店に入った時などに、ウエイターかウエイトレスにオススメを聞くことがあるだろう。その場合に彼らから、肉や魚などどういったものが食べたいのか質問されることがある。同様に小説にもジャンルがあり、SF、ミステリー、恋愛ものといったジャンルが存在する。もし、誰かが「ガダラの豚」ってどんなジャンルなの?と聞かれたらあなたはなんと答えるだろうか。私は、「中島らもというジャンル」と答えるだろう。他に説明しようがないからだ。それはこの作品が、多くのジャンルを内包しているからである。多くを含むと内容は薄くなったり、何が言いたいのかわからなくなりやすい。しかしながら、中島らもは、内容を盛り上げ、伏線を回収しこの小説をうまく終わらせている。

ジャンル分けが難しいこの作品において舞台がどこなのか説明するのも難しい。日本で序章が始まり、アフリカへ行き、最後はまた日本に戻ってくる。SFあり、ミステリーありの構成に、読者は今自分がどこに行くのか分からないまま進んでいくような錯覚とともにどんどんとハマっていく。本当に、天才と言われた中島らも小説の最高傑作と言ってよい。新聞小説は、毎日載ることからも常に山場を維持する必要があると聞いたことがある。確かに、菊池寛の真珠夫人や司馬遼太郎の坂の上の雲は読み始めたら止まらなくなる。ガダラの豚も同じようにどこから読んでも面白い。

ガダラの豚を時代的に見ると2つの点に注目できる。序章にて新興宗教が出てくる。この時期にはオウム真理教がワイドショーを賑わせていた時期であった、またノストラダムスを中心とする終末思想も盛り上がっていた時期である。この小説がジャンル分けが難しい別の視点として、時代に対する皮肉を中島らも節でうまく表現しているところにもある。その上で、中島らもが新興宗教に対してどう考えているのかを、ひねりを加えて表現している。同様に終末思想に関しても。その上で、娯楽小説に昇華させているのである。

この作品を紹介して頂いた方の話では、この小説を文芸評論的に評価しようにも、型破りだったため評価出来なかったというような話を聞いた。文芸作品や芸術作品には認めてしまうことによる権威の失墜などがある。中島らもは既に鬼籍に入ってしまわれたが、同じ時代を生きれたことには感謝したい。彼の他の作品も私は好きだ。

また文庫版の解説が、文芸評論家などではなくアフリカ研究の文化人類学者で、彼が小説から見ている風景がまた興味深いものである。

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