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やまゆり園事件植松被告の死刑判決を受けて ーいま生きているということの絶対的な価値をつくるー

本日、相模原市の知的障害者施設で入所者19人を殺害した罪などに問われた元職員の植松聖被告へ、求刑どおり死刑が言い渡された。  

第十回公判で、姉を殺害された弟が植松被告に「コンプレックスが事件を引き起こしたのでは」と質問した。植松被告は、「確かに。こんなことしないで、歌手や野球選手になれるならなっているが、(殺傷事件は)自分ができる中で一番有意義かなと感じます」と答えていた。

第十一回公判でも、別の被害者の代理人が関連質問した。

代理人「歌手とか野球選手だったら事件は起こしていないのか。」
植松被告「そうだと思う。」
代理人「思想は変わるのか。」
植松被告「そんな事件は考えもしなかったと思います。」

以下は、本日NHK神奈川 NEWS WEBへ掲載された記事での、私の発言である。

障害者福祉に携わった人がそのあり方を問うたということではなく、結局は野球選手になれていたら殺してないという、そんな薄っぺらい話なのかと思った。出番がない人間が出番をみずからつくった事件で、ヘイトクライムですらないのかもしれない。『生きる意味があるか』というのは、実は現代における自問で、それを被告は障害者に向けたが、根っこのところでは彼自身がおそらく『俺は生きる意味があるのか』と自問していたのではないか。

障害のある人たちと一緒にどう生きていくのかが問われたのがこの裁判だった。彼が言った『価値のない命と価値のある命』という生産性の議論で、私たちは本当に戦う気持ちになっているだろうか。『あいつは極端な人殺しだ』とおさめてしまったら、何もこの事件から得ることができない。『いま生きているということの絶対的な価値』を言い切る社会をつくれるのか。彼が持ち出した価値観や主張を私たちは本当に根絶できるのか。本当の勝負は裁判が終わってからになる。

(NHK 神奈川 NEWS WEB「裁判を傍聴・取材した専門家は」より)

判決の内容を載せる。


判決で裁判長は被告が相模原市緑区の津久井やまゆり園に侵入し、入所者19人を刃物で刺すなどして殺害したことを認めた。また、施設の職員2人を含むあわせて26人に重軽傷を負わせたことも認めた。
そして、横浜地方裁判所は、弁護士の主張を退け、事件当時被告に責任能力があったと認めた。
唯一の争点だった責任能力の有無について、検察の主張に沿った判断が示された形である。  

裁判長は「被告は『意思疎通できない障害者は不幸であり、殺害すれば賛同が得られる』と考えた」と指摘したうえで、動機の形成過程については「到底、認められないが、理解は可能だ」と指摘しました。  

検察側は、被告が「意思疎通できない障害者は殺した方がいい」と考えた末に事件に及んだと指摘。鑑定医の証言も踏まえ、こうした被告の考えは病的な妄想ではなく、単なる特異な考えだと強調した。さらに事件は計画的で、襲撃時も刺す場所を冷静に判断していた様子などから、当時の被告には責任能力があったと主張した。
その上で、被告に更生の可能性はなく「極刑以外に選択の余地はない」としていた。

裁判長は被告の障害者に対する差別的な主張についてやまゆり園で働いた経験から考えるようになったと指摘した。 
公判で被告は「皆様に申し訳ないと思う」と謝罪しながら、障害者に対する差別的な考えを繰り返した。
遺族や被害者家族が見守る前でも、重度障害者について「無理心中や介護殺人、社会保障費など、多くの問題を引き起こすもとになっている」
「意思疎通できない障害者は安楽死させるべきだ」などと特異な主張をしていた。  

(NHK NEWS WEB 「障害者殺傷事件 植松聖被告に死刑判決」)
(dメニュー ニュース 「植松被告に死刑判決 横浜地裁責任能力認める」)より抜粋

障害のある人たちと一緒にどう生きていくのか。彼が持ち出した価値観や主張を私たちは本当に根絶できるのか。

本当の勝負はこれからである。



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