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松ちゃんと僕らの物語         その9 強制退去規定

抱樸では、この未曾有の事態に少々混乱が生じていた。いままでの枠組み(経験知)では対処できない事態が起きたからだ。実は、自立支援住宅には「強制退去規定」というものがある。これまで「断らない」ということを掲げてやってきたのだから、この規定の存在自体、その理念に悖(もと)るとも言える。だが「強制退居規定」があるからこそ「引き受け続ける意味」や「決断」が問われるのだ。退居させるか、させないかが重要ではない。ご本人にとって何が必要なのかを考え続ける。「答えはない」。「強制退去、是か非か」という単純な問題ではないのだ。抱樸のモットーである「切らない」「断らない」「ひとりにしない」ということをどのように実践するか。究極「つながるためにいったん離れる」ということさえある。「答えは間にある」。これは「つながり続けることを目指す伴走型支援」における基本的な考え方である。

そもそも「強制退居規定」を創ったのは、抱樸専務理事の森松長生さんである。彼は、伴走型支援を地でいっているような人で、「手放すな」「ケツ(出会った責任)を取れ」が真骨頂。にもかかわらず「強制退居規定」という自分の主義に合わない規定をあえて作ったところが面白い。

「強制退居規定」は11段階に及ぶ。第一段階は「事実確認」から始まる。徹底的に本人の主張を真に受けてその証言に基づいて事実を確認していく。聞いた途端「嘘でしょう」と思うこともある。それでも一つ一つ裏付けをとって回る。今風に言うと「ファクトフルネス」ということ。調べた上で嘘だと確認できたら「なんで、そんなことを言わなければならないと思ったのか」や「じゃあ、これからどうするか」などを話し合っていく。嘘も関係構築のために役に立つ。

一段階から始まって「強制退去」までに11段階のチェックポイントが定められているが、この規定のすごいところは最終の11段階目にある。「担当者が『俺が責任を持つ』と言ったら振り出し(第一段階)に戻す」というのだ。これでは何のための11段階かわからない。そもそも「強制退去をさせる気があるの?」と言われそうだが、これで良いのだ。

一般にこの手の規定は、その人を支援するべきか、否かの判断材料としてして使われる。ややもすると組織防衛や施設の秩序を保つために規定が定められることもある。しかし、伴走型支援の場合、「つながり続ける」ことが目的であるため、この面倒くさいプロセスに意味がると考えている。11段階目の「振り出しに戻る」を繰り返すことが「つながっていること」そのものなのだ。

これには当事者を切り捨てないということと共に支援者を守るという意味もある。こういう現場で人と関わろうとする人はどなたも心の優しい人ばかり。だから「もう出て行ってください」となかなか言えない。それでも現実は厳しく、どうしても「無理」と言わざるを得ないことが起こる。それであのような規定を作るのだが、規定に基づいて「強制退去」を実行してしまうと気の弱い支援者はその日から眠れなくなる。だから「退去か、否か」を延々と無限ループのように議論する。しているうちにお互い少し成長し、気が付けば治まっているということを何度も経験してきた。

だから伴走型支援は、「答えを出す」というよりも「ごまかす」といった方が良い。こういう点は、問題解決を前提としてきたこれまでの支援ではなかなか理解されない。そんな、こんなで「切り捨てる勇気がない支援者」は、この規定があることで助かる。

しかし、これは「なんでもOK」ということではない。「問題(行動)を問わない」ということでもない。だから11段階もの規定があるのだ。回りくどいことを呼応的にやり続ける。それで、なんとなくごまかして、つながり続ける。「つながり続けることに意味がある」と考える伴走型支援においては、すべての出来事(事件)は「つながるための手段でありチャンス」なのだ。

松ちゃんの「強制退去」を諮る「自立支援住宅委員会」が始まった。松ちゃんの場合すでに10段階は終了していた。ここまで破格の人はいなかったこともあり「今回は、一度野宿に戻ってもらうことが良いと思う」という意見が出た。いままで絶対にそんな意見は出ないと思っていた僕は内心慌てていた。しかし、最初に担当者が「引き受ける」と言ってしまうとそこで議論は終わってしまうので、みんなが言うことを黙って聴いていた。その時、会議参加者の最年長であった仰木節夫さんが立ち上がった。「俺たちは実家になるって決めたんやないのか。どんなやんちゃ坊主でも、帰ってくる場所は実家しかないやないか」。仰木さんの一言に全員が自分を見つめた。仰木さんは、その感動的なスピーチを終えて座られた。「えええ、それでどうするのよ」と内心僕は焦っていた。えええい儘(ママ)よ。「はい、それで行きましょう。ついては私たち夫婦が引き受けますから継続でお願いします」と宣言してしまった。その上で「ただし一人で引き受けることは難しいから、やる気のある人は応えてください。チーム松井を結成したいと思います」と呼びかけ委員会は散会となった。結果7人が手を上げた。松ちゃんは、本当に幸せな人だなあと思った。

つづく

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