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「思考する」ヤツはバカ。

「暇は諸悪の根源である」と、誰かが言っていた気がします。
これは、格言だと思います。

暇でグータラしてポテチを食べて太るのが悪いと言っているのではありません。
暇だと、人は「思考する」んです。

哲学家と言われるまでに極めた賢者には当てはまらないのかもしれないですが、基本的には人間の「思考」というものはネガティブな方向に進むので、大概は「思考」そのものが危険をはらんでいます。
愚かな我々は、「自分が幸せではない、自分は恵まれない、自分は苦しい」などといった事実ではないことに対し思考することによって、それを自身に証明してしまい、いつの間にか事実と化してしまったことに苦悩し、そんな苦悩している自分を考えることでより一層自分を憎み、苦痛を負ってしまうのです。思考のでふれすぱいらる。
これが「暇は諸悪の根源」の意味だと思います。
愚者は無駄に思考するんです。
同じ意味で「考えるな、感じろ」もまた誤りだと思います。
「愚者は思考する」の反対は、「賢者は行動する」です。
(ぼくが今勝手に決めました)。


なぜ行動することが重要なのでしょうか?
これもまた勘違いしやすいのですが、行動することによって何らかの因果関係で良い成果や結果が期待出来る、からではありません。
人間にとって、「行動」そのものが「喜び」や「幸せ」を包含しているからです。

ランナーがなぜ幸せか、知っていますか?
なぜ世界中を飛び回って多忙を極めている経営者が幸せか、知っていますか?
なぜ自給自足の農夫が幸せか、知っていますか?
常日頃から誠に礼儀正しい人がなぜ幸せなのか、知っていますか?

のだぱい流に、解説します。

人は、正しく行動することで、その行動によって取れなかった愚かな行いや思考を排除できます。
行動のメリットは、そこにあります。

ランナーは、今現在入っている足を止めないことに、全精力を注いでいます。
他にも、流れる景色を楽しむ、自分のペースを保つ、足元に注意を払う、ということも入れれば、やることはたくさんあり、案外忙しいものです。
たくさんの意志や判断が必要なんです。
自分が幸せじゃないかもしれない、とか、明日は不幸なことが起こるかもしれない、とか愚かなことを考えている暇がそもそもないのです。
これは詭弁なようで、とても重要なことです。

人は、何かの行動をとることで、別の行動を取らない、ということを自分に強制できるのです。
それを知っている人を、賢者と呼ぶのでしょう。

走りに夢中になっているランナーには、人の粗探しをしてわざわざ文句を言う暇もないし、自分の人生の粗探しをしている暇もないのです。だからランナーは否応無しに幸せなのです。
彼にあるのは、せいぜい景色を楽しむ余裕と、道を譲ってくれた人の優しさを感じて、息を切らしつつもたまに「ありがとう」と言う余裕くらいでしょう。

以上が、マラソンがここまで多くの人に愛されれる単純な理由なのでしょう。
やらない人には全くわからないことですし、ただ長い距離を走るなんて理解に苦しむでしょう。
逆に、少しでも長距離を走ったことがある人は、わかるものです。
人に対する共感とは、行動によって得られるものなのです。

別に走りに限らず、すべてのスポーツにおいてそれが当てはまります。
健康増進という理由だけでは、スポーツはこれほど広まらなかったでしょう。
それが愛されるのは、それ自身が喜びであり、幸せそのものであるからです。

日々充実した仕事で忙しい経営者が幸せなのも、同じような理由からそうなります。
彼は業務上の判断や行動で手一杯で、その他に考える余裕がないのです。
時としてその余裕のなさが悲しい行動を生んでしまうのも人間の性ですがね・・・汗。
とはいえ、彼は日々判断と決断を下し、自身の仕事と会社をコントロールしています。
それはいわば、自身の人生の舵取りをしているようなものです。それはそれだけで尊く、幸せを孕んでいるんです。
会社経営はそれを誇張して彼にありありと伝えてくれるから、経営者は幸せなんです。
人は自分の人生を精一杯舵取りして前に向かっている時、それだけで幸せです。

自給自足の農夫も同じです。
農業とは忙しいものです。
農夫は、自身が育てた作物のために雑草を取り除いたり、虫をはねのけたり、一つも無駄にしないように収穫したりする作業でいっぱいです。
農夫の頭は、自分で育て、収穫した作物がどんなに美味しい味を持っているのか、はたまたどのように美味しく調理してあげようか、といったことでいっぱいです。
だから幸せなんです。

礼儀正しい人もそうです。
礼儀は時に形式的な所作や行動でありながら、それが所作や行動であるという理由そのもので大事だったりします。
相手に敬意を払い深々と頭をさげることは、同時に、相手を蔑みすねを蹴ったり、つばをかけたりする行動を放棄することを意味します。
それを私たちは同時にすることができないからです。
微笑みが重要なのは、それが相手の微笑みを誘うという重大な理由もありますが、それ以前に、微笑みという行為によって、憎しみを伴ったしかめっ面をする、という行為の放棄を余儀なくされるからです。

ぼくが考えるに、
礼儀やマナーというものは、仮にそれが形式上のものであっても、無礼で相手や自分を不幸にする態度を強制的に却下する、という点ですでに有益です。
裏を返せば、礼儀によって、我々は自分や相手を敬い幸せにする行動をとることを促されているんです。
誠意があるから礼儀が生まれる、も真だし、礼儀から誠意が生まれる、もまた真です。

これは、幸せとそれにまつわる行動にもきっと言えることなんでしょうね。
つまり、我々は普通我々が考えているよりもきっと自身の行動に規定されていて、行動によって自分を幸せにできる。
善行を積む立派なお金持ちを見て、「この人はすでに幸せだからこんなことができる」と羨むのが普通なんですが、「こう行動することによって自分を幸せにできる」と気付くと、とても世界が明るくなりますよ。
だからぼくは、スポーツをするし、カラオケにも行くし、料理もするし、人を愛し、人にやさしくして、人のために働くんです。
そう、全ては自分の幸せの為。
思いやりがあり、力もち、好青年でやさしいと見せかけて、全ては自分を利するため。
そう、ぼくはとっても利己的な人間です。


(2018年12月18日。以下記事より抜粋して掲載。)


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ごきげんよう。ふんどしと健康と幸福を追求する、断食トレーナーののだぱいです。 「文京区で2番目にやさしい」と良く言われますが、実際そんなに優しくなく、 「根はやさしい」くらいだと思っておいてください。