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何者でもない自分への不安

人生の目標を失った。今までずっと目指してきた気持ちが突然ふっと消えてしまった。厳しいトレーニングと食事制限をして、一年間それだけを考えてて頑張ってきた。体をギリギリまで追い込んで体調を崩したこともあった。それでも今は極限まで挑戦しよう。そう思っていた。

きっかけは突然やってきた。一つのメッセージ、それが私に限界を知らせた。もうこれ以上やりたくない。そう思った。どんなに努力しても、どうにもならない問題だった。それでも諦めずにやり続けることもできた。でも私は離れたかった。自分がこのままではいられない。自分の特徴を否定され続けるこの世界から。

夢を諦めるとき、そんなに簡単にはいかなかった。自分がこれまで信じてきたもの、目指していたものになれないことを認めるのはとても苦しいことだった。

もう辞めようと思ったとき、初めにやってきたのは自己卑下だった。諦めるのは悪いこと。せっかく頑張ってきたのにここでやめるのはもったいない。そんな気持ちもあった。それでも心の中では、もうやりたくない。許して欲しいと叫んでいた。それから、少しポジティブな気持ちが出てきた。今までできなかったことができるようになる。好きな人と会って、好きなものを食べることもできる。

でもすぐに、この仕事を諦めたら自分には何が残るのだろう。そう思った。これまで応援してくれた家族、友達、周りの人にはなんと言おう。とても怖かった。そして自分を恥ずかしいと思った。自分のやりたいことがなんでもできるのに、素直に喜べなかった。いつも何処かで罪悪感を抱えていた。食べる時も、友達と会って生活リズムが乱れることも不安だった。これから何を目指してどのように生きていこうか、何もわからなかった。

一番苦しいのは、自分が何が好きで何がしたかったのか全然思い出せないことだった。好きでやってきたつもりだったけど、いつしか精神的にも肉体的にも追い詰められいて、自分の気持ちに目を向ける余裕が無くなっていた。

そして無気力がやってきた。何もしたくない。考えたくない。ゆっくり映画を見ることも、何かを食べることすら不安だった。そう思っているうちに、たちまち体調を崩して数日間をベッドの上で過ごした。考えようとしても何も出てこなくて、ただ時間が過ぎていく。何か意味のあることをしようと思っても、思うように体が動かなかった。

数日経って動けるようになりアルバイトに行った。帰国してから一年以上働いているレストラン。私はここで、こんなに長く働くなんて思っていなかった。バイトをしなくても食べていけるようになってパリに戻るんだ。そう思っていた。それでも私はこの仕事が好きだった。朝早く起きて、満員電車でレストランに向かう。毎朝変わらない光景。誰もいないレストランに灯りをつけ、決まった仕事をする。それがいつも私を助けてくれていた。仕事が思うように決まらない時も、先のプランが見えない時も、そこに行けば仕事があって受け入れてもらえる。そんな感覚が私を支えていた。
一人で黙々と作業をしていると、色んな考えが湧いてきた。今の自分には何もない。できることも目指す目標も、やりたいことすらなかった。でも一方で、やらなければならないこともなかった。何かを制限されることも、行動を決められることもない。

自由だった。

それは私がこの一年感じてこなかった感覚だった。こうしなければいけない、こうあるべきだ、たくさんの決まりが私を取り囲んでいた。目標がなくなった時、そのこだわりは一瞬にして意味のないものになった。必要のないものを手放した時、私の元に残ったものはほとんどないような気がした。

自分が何者でもなくて、何もできないんだという感覚。

それはとても不安で、自分のことを説明できる言葉が欲しかった。いろんなことに理由をつけて自分の決断を正当化したかった。挫折して、何もできなくて、孤独でかっこ悪い自分。好きなことがわからなくてここから逃げ出したいと思っている自分。何者でもない自分を受け入れたくなかった。何かを成し遂げる人になりたい。何か意味のあることをしなければ受け入れられない。そんなふうに思っていたのかもしれない。

何者でもない自分は思っていたよりも悪くなかった。迷って、悩んで、苦しくて、不安で孤独だった。目標を聞かれても答えられずに、自分のことも、うまく説明できなかった。それでも私の話を聞いてくれる人がいた。答えがなくても一緒に考えてくれる人がいた。それは私にとって驚くべきことだった。どんな状況でも支えてくれる人がいる。味方になってくれる人がいる。そんな優しさに触れて私はさらに自分の無力さを知った。自分だけでは何かを決めることも、人の役に立つこともできなかった。それが今の私だった。

何者でもない私。

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