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私たちの「当たり前」が、紙切れ一枚の上に成り立っていること。

先日、戸籍を移動させた。

これができていれば今ごろ張くんは入国できていたのか、と思うと、市役所の紙切れ一枚、手続き3分の作業に、どっと疲れがおそう。

これだけのことだったのにな・・・と。

(先日のこちらの記事参照)


結婚も離婚も、住まいも、なにもかもこうして、紙ひとつ、サインひとつの世界。それがなければ、「存在」できないし、「認め」られない。

現実社会では「それが当たり前」というけれど、私は金子みすずさんバリに、不思議でたまらない。誰にきいても笑ってて、あたりまえだ、ということが。すみませんみすずさん。

だけど、私たち夫婦は恵まれているのだ。

私としては、相手が中国人ってことで偏見まるだして言いたいこと言うて来られる(うちの親とか)こと以外に、困ることは一切ない。紙切れ一枚で、結婚が、在留が、制度上、認められているから。それはどう考えたって、ありがたいことだし、本当に幸運なことだと思っている。

つい先日、たまたま番組をみたところなので、余計にそう思うのかも。

エリザベスは、在留資格がなく入国者施設に収容されている外国人たちの支援を行う活動家だ。

母国に帰ればかえって命が危ない難民や、日本で生まれ育ちながら在留資格がない人などは、入国管理局に収容される。

エリザベス自身も自国ナイジェリアから逃れ、「難民」として日本にたどり着いた一人。ナイジェリアはまだ女性に対する古いイニシエーションが残る国で、彼女は、やっと人権侵害だと国際的にも非難され始めた「女性性器切除(FGM)」から逃れるため、日本にやってきたのだそうだ。

しかし、日本ではこの理由では「難民」として認定されず、入管に収容されることになってしまう。

(大学院時代に、FGMを研究対象に修論を書いた私からすると、逃げるに値する十分な理由)

そして、その経験が、彼女の収容者支援につながっていくわけなのだけれど、この問題もまた、終わりが見えない。

一度収容されてしまえば、外界とのコンタクトはたたれ、国に帰ることに「YES」というまで、延々と収容され続ける。

独房のような居住空間のなかで、エリザベスは、様々な収容者たちを見てきたのだそうだ。自殺する人、精神が病んでいく人。

生きて母国に戻っても地獄、収容されても地獄。彼らには、存在を認めてもらう方法もなければ、帰る場所もない。


こんな幸せな、豊かな暮らしの片隅で、今も外に出られず独房暮らしを続けている外国人たちがいる・・・


と思うと、「在留資格がないんだから仕方ない」で、片付けられないのは、私も「入管」というワードが割と近いところにある人生を送ってきているからなんだよな。

20年くらい前の東京、夫やその友人たちが、日本の片隅で、時にはものすごい格差と差別のなか生きていたのを、ちょっとだけ知ってしまっているから。

ほぼ身分制度ともいえる農村戸籍をもった中国人は、中国にいても極貧の生活だ。だったら日本でチャンスをつかんだほうがまだいいと、借金まみれで出てくる。

日本語はもちろん話せない。語学学校のビザでは時間に制限があり十分に稼げない。だから、風俗なんていう手っ取り早いバイトに手を出してしまう(もちろん違法)。

今の豊かな中国人とは、生活レベルがまるで違う頃のこと。

夫の友人が、違法就労で入管に収容された日、面会にいった鉄格子の向こうで、彼は泣いていたそうだ。もう2度と、日本に来ることはできなくなった友人が戻るのは、もとの極貧の生活。


お金もなく、目的もなく、ただ豊かな国で稼いで帰りたかったという中国人たちが、一方で、日本の裏側の社会でものすごく利用されていたことも、ちょっとだけ知ってしまった私としては。

日本が、とか、中国が、とかいう、枠組みでものを言うこと自体、とてもナンセンスなことに思える。

あらゆる事情を抱えるすべての人たちを考慮して、「オッケー」するわけにもいかない、日本国としての苦しみも噛み締めつつ、

私たちの快適で便利で幸せな暮らしは、そのような見えてこない問題を土台にして成り立っていることだけは、自覚すべきなんだろうな。

夫が近くにいたら、のうのうと暮らすだけで、特段意識することもなかったかもしれない。

でも、自由に行き来もできなくなってしまったことで、あらゆる判断が「何人」とか「国籍」とかを超えてしまっていて、だからこそ今、「人」に戻ることを問われているんじゃないかと思ったりする。



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