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自分なりの取材を極める、しかない

今日は一日(というかここ数日)、取材資料と向き合う。

テープ起こしや紙もの、断片的だった情報を、整理して編み直す。そういうの嫌いじゃないので、延々とやってしまうのをやめて、こうしてnoteを書いている。

テープ起こしを聞き直す作業にもだいぶ慣れた。自分の声にも慣れたし、質問のぬるさにも。そういう意味では成長もしたのかしら。


取材というのは、本当に、誰かから直接学べるものではないなあと感じる。私の場合は、いくつかの縮み上がるような現場での失敗や経験があったからこそ、やっと成長できたようなもので、

それがなかったら自分、どうやって「ライター」を名乗っただろうと思うわけだ。

あるいは、ものすごい活躍しているノンフィクションライターさんの取材にいつか同行して、その現場の空気を吸ってみたいとも思うのだが、なかなかかなわない。

取材とは、実に密室で行われているもの。それを知りうるインタビュアー、インタビュイー、そして編集者やカメラマン、、、つまり、それぞれがそれぞれの分野の独立したプロで、

その道をよく知らない自分がまさかプロカメラマンにダメ出しすることなどありえるわけがなく、

こうしてライターは、独学で、自力で、自分の信じる「取材」を突き進めるしかないのであろう。(編集者さんは時々相談に乗ってくれるけれど)


30代前半、私の中で「自分がライターと名乗ってもいいのだろうか?」という疑問が膨らみ、とうとう某ライター養成講座に通うことにしたのはそんなわけである。(今はライター講座ってどこにでもあるような気がするけれど、当時は、あの有名な、あそこしかなかったですよね)

自分のやっていることがライターにふさわしいことなのか知りたかったし、技術も高めたかったし、何より、今はもう出版業界の重鎮となっている錚々たる講師陣メンバーの名前に惹かれないわけにはいかない。

確か、独立前の加藤貞顕さんもいらしたし、ブックライターの第一人者・上阪徹さん、ノンフィクション作家の足立倫行さん、他にもかの有名な雑誌編集者やプロカメラマン・・・今考えてもため息が出るような講師の皆さんが揃い、刺激に満ちた講義を楽しみに待つ半年間。


だが、そんな日々もあっという間に過ぎ去った。夢のようなコースを終えて、私が実感したこと。それはね・・・

やっぱ、自分なりにやるしかないんだな

ってことだった。結局振り出しに戻ったような気がしたのだ。


それは、自分のやり方が、世の中のそれとそんなにずれてはいないということの確認が完了した印でもあった。また、ある程度業界を知っていた私からすると(メインの参加者はやはり20代のこれからライターになりたい!層がほとんどだった)、

講師たちのリアルな話はとんでもなく面白かったが、珍しい、新しいと感じるものではなかったからだ。

講座への参加を、もちろん転職とか自分のネットワーク作りに活かす人もたくさんいたし、私もできることならそうしたかったが、

「書いていきたい」と願う私が求めていたのは、もっと自分のやっていることの是正であったし、

さらに言えば、技術的な、職人技的なトレーニングだった、ということなのかもしれないなと今となっては思う。例えば、今抱えている資料の整理の効率性とか、章立ての作り方とか、取材の仕方とか、そういうこと。

ライターという職業がわりと広がりを持つようになって、ライターとはなんぞや、についてはこちらの本に克明に記されることになったが、


ゼロから生み出すアーティストタイプではない私にとっては、「自分なり」にやってきたことを信じるというのは、それなりに勇気がいること。

ゆえに時折揺れるのだ。このようにくもりが続く夏の終わりには。これでいいのか、あれでいいのか、ああ、秋が始まる・・・と。


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