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今の自分の選択と行動が、あなたにも影響を与えている

朝のゴミ拾いを細々と続けている。
今日もメインはプラごみであった。

海から打ち上げられたものが多いと思っていたが、テトラポットの奥や階段のところに「置いてある」ゴミは、どう見ても最近のものだし、うちの近所のあの店のものだったりする。

プラごみと並行して、最近あまりにも目に付くのは、マスクだ。

拾ってゴミ袋に入れるのも気がひけるけれど、私はひろうよ!。こんなものが海に再び流されて、海の生き物の尾鰭や背鰭に引っかかったりしたら、生きていくのは大変だ。それに、その生き物の命をいただいているのは私たちだ。


運動不足解消に、と何の気なしに始めた海掃除だったけれど、やればやるほど「終わらない」感が強まり、それこそ「絶望の海」に飲み込まれそうになる。いっそのこともうやめようか、とも思うのだけれど、週1、なんだかんだで海に向かう。

「ママがひとりゴミを拾ったからって、なんの意味もないんじゃない?」

って娘にまで言われるありさまだが

「そうかな?本当にそう?」

って言い返すようにしてなんとか行く。本当は、自信がないのだけどネ。

翌週には新しいゴミがまたたんと、とれるんだものネ。


私もきっと多くの人がそうであるように、物心ついた時から<環境>にとても敏感であった。

なぜ大人たちは山を切り崩し、川を潰し、空気を汚していくのか。

自分もその恩恵に預かっていることをまるで無視して、物言わぬまま傷つけられていく自然のことを思って、悔しくて悔しくて、崩されて剥き出しになった山肌を見ては、痛みと怒りを感じていた。

環境活動家のグレタさんの声が世界に轟くずっと前、1991年、リオデジャネイロで行われた地球サミットで、12歳のセヴァン・スズキが怒りのスピーチをした。その時、私も13歳だった。

もし私がそのような立場にあったら、同じように壇上で唾飛ばしながら怒っていたと思う。

当時はオゾンホールの破壊が話題の中心で、大人たちを前にセヴァンさんはこう言ったのだ。

「直し方もわからないのに、壊し続けるのはもうやめてください!」

怒りのスピーチは今でもYoutubeで見ることができるから、ぜひ。



そしてあの頃から何か状況が変わったのか?といえば、

意識が高まったのか低まったのか、状況が悪くなっているのはなぜなんだろ?

私も含め、便利でものに溢れた社会を謳歌して、快適で何も不自由がない暮らしを手に入れる一方で、

そうではない場所に暮らす人々から、自然や情報や労働力を奪って。

何を手に入れたんだろ? 生きる場所を削ってまで?


動物関連の本の執筆をきっかけに、「レッドリスト」を調べる機会があったが、今、ものすごい勢いで消えているのは、淡水魚だ。水が汚れているのだ。

そういえば、近所にわんさかいたザリガニもめだかも沢蟹も、いなくなった。生き物が生きられないほどの水のそばで、人間があとどのくらい、生きていけるものだろうか。

ちょうどそんなとき、この記事を読んだ。

その勇敢さに、私の勝手な怒りまでもが癒され、鎮まりかえっていくのを感じた。

ポカリスエットの少女たちが大人になるころ、私が子供の頃に受け取ったような自然環境は、きっと、かなりの確実で残されてはいない。

ザリガニもめだかも、もしかしたらカエルも?

しずまりかえった世界で、

美しいものが、美しいとはいえないものにささえられていた現実を身体から知るとき、

私たちの行動と意識がやっと変わるーーー

のでは遅い。

もっとちゃんと受け止めたい、全ては自分が背負う責任だと。


私や家族が生き残るかどうか、そんな小さな問題ではないのだ。子どもたちのその先に、まだ地球の未来があるのかどうか、の問題。

怒りをぶつけるだけではなく、自分の選択と行動を変える。今すぐ、今ここからできる選択を、地球のためにする。ちょっとずつ、ちょっとずつ。できたら、たくさんの人と一緒に。

当たり前だが、地球環境は、全部まるっと繋がっている。

ということは、私の今日の行動と選択は、あなたの今日の行動と選択に影響を与えるかもしれない。と、信じることも、私にできることのひとつだと思うのだ。


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