見出し画像

「この土地、この季節から逃げない」という選択の自由さを

カラン、と音を立てて、横開きの雨戸を開けて店の中に入る。海沿いの読谷村において、まるで森のなかにいるようなカフェ「Bloom Coffee Okinawa」。まだこの町(正確には村である)で暮らしていなかった時代に、それでもやっぱり惹かれて、時おりコーヒーを買いに来ていた場所である。

スクリーンショット 2020-12-10 21.26.15

朝起きて、今日はアポイントが夜しかない、と改めて考える。こういう日は、意図的に予定を入れていない「原稿締切day」だ。

ひとりきりで、パソコンと取材の文字起こし原稿、取材時の写真とにらめっこして、机に向かう。ということは、「どこにいてもやることは変わらないday」とも言いかえられる。

ひとり、雨の部屋に居ても思考は閉じてゆくばかり。今日は、でかけてどこかカフェで仕事を、と思いつき、足は「Bloom Coffee Okinawa」へと向かっていた。


次点は海沿いの星野リゾートの「バンタカフェ」だったのだけれど、駐車場からカフェまでが50メートル程度あり、今日はぜんぜん濡れたくない気持ちだったので(なぜならきれいに髪を結わえたから)、こちらを選ぶ。

ここ読谷村に限らず、沖縄は全土がほぼ観光地、といってもいいほどだとは思うのだけれど、その中でも読谷村は贔屓目なしに(贔屓目かもしれない)素敵なエリアだ。

岬が突き出すように、まるで鳥が今にも羽ばたく形で村は展開し、村のどの道を走っても、海と空と、さとうきびの気配が感じられる(という気が私はする)。

画像2

また、どんなにローカルエリアにあるカフェでも、おばあでも、米軍や海外からの顧客向けに日本語以外の言語を話すスタッフは多数いるし、この情勢下にあってさえ、客の中で日本人はわたしひとり、みたいなこともままある、日本なのか、海外なのか、ちょっとわからなくなる場所という印象も受けたりする。

だから、私がいま座るカウンター席の隣に来た、黒髪ロングの彼も、日本語は片言だ。出身がどこなのかは図りかねるが、コーヒー、という発音がすこぶるネイティブ感にあふれているから、おそらく生粋のうちなーんちゅではないのでしょう(って打ってたら、店員さんとの会話で、彼は以前までここで働いていたスタッフだと知る……なんと……)。

沖縄の焼き物・やちむんのマグカップに、次々とカフェラテが注ぎ込まれる。常連たちは、席をまたいで笑い合う。その環に、私はまだ入れない。まるで、旅をしているときのよう。

「ここに居るのに、すこし居ない」。けれど私は、きっとまたここを訪れたりするのだろう。だって、この村に、暮らすことを選んだのだから。少しずつ、すこしずつ。


「逃げられない」、という事実、現状に最近すこし想いを馳せる。

沖縄は最近雨続きで、20℃あるから寒くはないけれど、それでも南国、からり、という雰囲気には少し遠い。今までの私であれば、梅雨の時期必ず海外で過ごしていたように、雨が続く日々ならば国を変えるため、飛行機に乗っていた。

2020年は、そういうことができない。

それをTwitterで嘆いていたら、沖縄のコザエリアでシーシャカフェ「tomarigi」を営む友人が、「もうすこしだけ耐えましょうね」と言ってくれた。

「なるほど、耐える」。耐えるということをしてこなかった人生なのかもしれない、と振り返る。「嫌なら、どこかへ行ってしまえばいいのだから」、と思っていたフシがある。

けれど、今からの人生はそういうことではなくて、ひとつの土地に責任を持って暮らす、という地盤がほしくて、この海沿いに来たのだから。続く雨くらい、引き受けよう、と「Bloom Coffee Okinawa」の広い窓の外見ながら三度心に決める。

身軽で居続けるために、芯をつくって。どこへ行っても変わらない私で居続けるために、どこへも行かないときの私も、つくる。

旅のことは、2020年も、変わらず心底愛している。愛しい。できることなら、いますぐ、海を超えて。でもたぶん、今じゃないなら。

画像3

画像4


この記事が参加している募集

この街がすき

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。