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寂しさにきちんと向き合える大人になろう【オーストラリア・パース→シドニー】

その夜私はとても寂しくなってしまって、ひとり空港で、広いがらんとした空間を少しだけ眺める。

こういう時、スマホに頼ってはいけないのだ、と私たちは知っていた。

誰かとつながることは容易いけれど、きっと私はこの孤独にきちんと向き合って、咀嚼して、そしてまた進まなければいけないんだな、となんとなく本能が言っていた。

誰かと一緒に暮らすのは楽しい。

たった9日間だったけれど、私はあの家で、たしかにとても楽しい時間を過ごしていた。

子どもの声が聞こえたら、いづる君かな、と思ってしまうし、朝起きたらもうさきちゃんのごはんが待っていることはないのか、とか、パパにおかえりって言ったり、幼稚園に行ったあとにおもちゃを片付けたり。

そんなきっと日常のどうでも良い些細な事が、やっぱり人生には大事なんじゃないかなぁって、こういう時いっつも思う。

どこかで同じことを思ったような気がする、と記憶を辿る。

また、ロンドンだ。

人生に必要な"リビングとキッチン"【イギリス・ロンドン】|伊佐知美|note(ノート) 

きれいな景色や気持ちの良い風はいつも吹くけど、思い出すのは決まって誰かと話したことだったり、少しだけ笑いあったりしたことだったりする。

お気に入りの公園に連れて行ってくれたり、いつも行くごはん屋さんを教えてくれたり、動物園でコアラを触ってみようとか、カンガルーはいつも昼間寝ているんだよとか。

ワイナリーでは試飲ができて、このカウンターに近寄るだけで、ほらね、お姉さんたちが「どれを飲む?」って聞いてくれるんだよ、とか。

オーストラリアの道路は「ラウンドアバウト」と言って、日本とは少し違う交差点があるんだよとか、州によって量は違うけれども、多少なら飲酒しても運転して大丈夫とか、この花は春の始まりに咲くのとか、そう、本当に、もう色々。

景色はいつも、過ぎ去った後に本当にきれいになってしまう。目で見るよりも美化されて、その時本当はめちゃくちゃ暑くて苦しかったこととか、誰かと話したくて切なかったこととか、ビールをこぼしてしまったりとか、道に迷ってしまったりとか。

そういうことを全部忘れて、「きれいだったな」という記憶だけ、濾されて残ってしまうことが、私はなんとなくだけど、悲しいんじゃないかなって思っている。

だから、私はこんなnoteを書いたり綴ったり撮ったり話したり。するのかなぁ。

きっといつか、「なんて美しい時間だったんだろう」と思い出す日が来る。【クロアチア・ドゥブロヴニク】|伊佐知美|note(ノート) 

また同じだ。「パースはなんてきれいな街だったんだろう」と私は今、シドニーの空港で思っている。

着いたのは朝6時。けれどパースはまだ3時だった。みんなきっと、まだ眠っている頃だろう。

さきちゃんの家からの景色は、朝も夜もとても美しかった

さて。次は、オーストラリアで一番大きな街、シドニーだ。この街で1週間ほど過ごした後、私は珍しくもう一度、すでに訪れたことのある街へ戻る。

次も楽しいことが待っているはず。

しばしの寂しさも愛しさを持って付き合おうと、気持ちを前に切り替えて今日は何をしようかなと考える、人生2度目のシドニーキングスフォード・スミス空港の少しだけ曇った、朝。


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