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見えなくなるまで見つめるなんて、しないから【ポーランド・ワルシャワ】

彼女たちを乗せたバスが走り出したとき、その背中の空は青かった。昨日も一昨日も、その前なんかたしか少し夕刻に雨が降ったような気さえしたのに、今日のその時に限って雲ひとつない快晴の美しい夏の日だった。

こんな時に限ってバスは信号に引っかかったりしないのだ。何も障害なんてなくてまっすぐまっすぐ、彼女らを乗せたバスは小さくなって、点になって、やがてその角を曲がって私の知らない道をゆく。

とかいって私はその背中を最後まで見なかった。前を向いてしまったら、涙がこぼれてしまいそうだなと思ったから。泣かないもんね、なんて思ったわけではなくて、泣きたいなら泣けばいい、と思っていたけど、結局涙は出なかった。

上を向いて、あの晴れ渡る健やかな夕刻に向かう20時の空を。ポーランドの最後の空を、私は見つめる。雨じゃなくてよかった、と私は想う。雨だったらきっと、そのしずくに涙を混ぜてしまっていたかもしれないから。

次にしゃんと、前を向いてみる。眼の前にはワルシャワの新市街の景色が広がっていて。私はもう一泊だけ、この街で夜を越す。そして明日はまた別の街へゆくのだ。久しぶりの、本当の一人旅。

そういえば今回は、アメリカ、キューバ、メキシコ、ペルー、そしてドイツとポーランドと、ずうっとではないけれど必ず誰かと一緒に過ごす日があった。

いつも誰かとすれ違い、そしてさよならを小さく言うとき、私は少しだけ涙が出そうになる。寂しい、と素直に心が言う。

旅に出る時はそう本当に誰もがひとりで、そしてきっとひとりで日本へ還る。もしかしたら帰らないと決める人も出たかもしれない。少なくとも私はひとりで旅に出て、そうそしていつもひとりで帰る。

比喩の意味でも物理的にも、誰もが人間みなひとりだといったって、ひとりを乗り越えるための努力も時間も愛も。ねぇこの広い世界にはあるようでないようで。

思い返せば私はオーストラリアとニュージーランドの旅を終えたあと、共に旅をした人が日本に帰ると聞いて、数日後に追いかけて日本に帰ってしまったりもしたのだ。

目と目を合わせて笑うことの尊さに気がついたのは、たしか世界一周目のスウェーデン・ストックホルムの北欧の夏だった。美しいと感動した心を、どうやってあなたに伝えたらいいのと頭を悩ませたのは、ミャンマー・ヤンゴン。大人にならなければと感じたオーストラリア・パース、初めてさよならを言って泣いた、ラオス・ルアンパバーン。

たくさんの街の思い出が、思い浮かんでは消えて私の横を通り過ぎる。次にゆくはギリシャはアテネ。絶対にひとりでは行かないと決めていたけど、ギリシャはいまの私の暮らしのすべての原点が詰まっている国だから、そろそろ行ってみても、いいのかもしれないなぁと感じてね。

※後日追記:結局翌日、私はアテネ行きの航空券を捨てて、クラクフへと向かうことにするのだけれど……

旅と写真と文章が好きだった。これ以上心ときめくことを、まだ私は見つけられていなかった。

けれど世界にひとり、ふたりだけ、このひととずうっと一緒に旅を続けて、一緒に写真を撮って、そして文章を紡いでいけたら幸せだろうなぁと感じる人に出会った。その願いが叶うのはどうやら今生ではないようだけれど、まぁそう想えるひとに出会えただけで、しあわせかもしれないね?と私はもう一度前を向く。

久しぶりに、地中海の空と海を見つめる日々が来るはずだった。地球儀をくるりくるりとまわすように、私はグーグルマップをじいっと見る。日本に帰るまではまだもう少しだけ猶予があった。不思議な気持ちだった。旅を続けたいけれど、そろそろ腰を据えて文章を書いてかいて書いて書きたい気持ちが、ふつふつと膨れ上がってきていた。何処へいこう? 何日居よう?

自由と解放感、抱きしめられる期間はきっと人生で短いから、できるところまでぎゅっとしようと、1年半前に私は心に、決めたのだ。


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