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「自己肯定感が強い」という謎解きの途中

「それは、佐野さんの自己肯定感が強いからですよ」と言われたことがあった。

編集部の後輩と、普段お世話になっているんだか、ただ好きなんだか、とにかく仕事を一緒にさせてもらったことのあるひとたちと一緒に横浜の野毛で飲んでいて、2軒目だか、3軒目だか、たしか2軒目の中華料理屋だったんだけれど、ふわりと放たれた冷たくて温かいそれ。

何気ない一言だったんだと思う。特にそのあと、「自己肯定感が強い」ことの話題が広がって大きくなることはなかったし、たしかそのときの主題は「なぜ自己肯定感が低いのか、それによって物事と人生はどう運ばれていくのか、運ばれてきたのか」みたいなものだった。けれど私のこの耳にも心にもちくりと刺さったこの表現は、のちに数ヶ月経っても私のなかで、存在感を持ち続けることになる。

「自己肯定感が強い」

この言葉は、セルフエスティームという言葉に変わって、4月末に海外に出てからも何度かその意味を私にまざまざと見せつけることになる。

「自己肯定感が強い」

この言葉の意味はなんだろう? というか、自己肯定感が低い、という状態で生きていくことの感覚や辛さ、おもしろさを私はあまり想像できずに生きてきた。たしかこの言葉に野毛で出会った理由は、なんだっただろう……成り行きすら思い出せないのだけれど(何せ私たちはお酒を飲んでいた)多分私がやりたいことはやらねば、みたいなことを言ったんだろう。旅に出る直前だったし。

……理由を考えてみると、とにかく私の母が素晴らしかったからだと思う。特に「この言葉が私の中心を貫いている」という言葉はないんだけれども、私は小さい頃から、思春期、30を迎えるいまになっても、たとえ遠くはなれていても、母の愛情を全身でたっぷりと受けて、比喩ではなく本当に実際に、太陽のように全身で1日も欠かさず受けているという自覚がある(でもやっぱり遠くはなれているから比喩か?)。

なんで母はこんなにも自分のことを一歩引いて、周りを優先して生きていけるんだろう? と疑問を持って、もう尊敬するしかないほどに、私とは正反対に見える性格をしていて、健気で、やさしくて、女性特有の柔らかさで溢れているひとだった。

だった、というか彼女は今日も健在だ。新潟県のあの実家で、母はきっと今日も音楽をかけたり得意のスマホをいじったり(インターネッツの世界に関しては彼女は時に私より詳しい)、時折昼寝をしたり仕事をしたりしながら、周りのひとと楽しく笑ったり、父と美味しいごはんを食べたり、そのための買い物に勤しんだり、本を読んだりやっぱり寝たりしているはずだ。

「自己肯定感が強い」

強い、ですか? 弱い、ですか? あなたは

私は自分のことが信じられないくらいどうしようもなく可愛げのない女だと思っていて、何もできないからいつも「何者かになりたい」「ならねば」と思っていて、誰かのようになれたらいいのにとやっと素直に口に出せるようになったくらいで、でもまだ「あなたのようになりたい」とはそのひとに面と向かって言うこともできない。

■参考:何者かになりたい|佐野知美|note(ノート) 

世界を旅するなんて本当に誰にでもできるし、私はひとりでは本当になにもできないし、第一この暮らしだって夫や会社が守ってくれなければ、成り立つものではないのだ。

でも「そっちはだめ」と言われたら「じゃあいいです独りで生きていきます」と言い放ちたくなるし実際言ったことだってあるし、この旅だって結局一度そのやりとりをした結果、引き止めてもらうように成り立った形だったりするのだ。

自己肯定感……なんだろう、それは。

でも私は、いつだって生きていることは素晴らしいと思っているし、今日より明日の方が楽しいと信じて疑わない。夢は叶うものだと思うし、何かやりたいと思うなら自分さえ変われば明日は変わっていくと思っている。

世界がもっとおもしろくなればいいのになんてこれっぽっちも思わないけど、世界をもうすこしだけみんなが楽しめるように、誰かの背中を押したり押されたり、そのきっかけを生めるようなメディアやことばを紡いでいけたらいいなとは思っている。

そう、私は世界を変えたいとか、誰かのためになりたいとか、特にそう、後者の誰かのためになりたいとかって気持ちが大幅に欠けているのだ。これって、自己肯定感が強いことと関係あるのか。ありそうで、なさそうだった。あっても、今の私にはまだ言葉にできないし、まだしたくないことだった。

※ちなみに「誰かのためになりたい」に直接繋がるかは分からないけれど、今回の旅でそれも大分変わった。

■参考:伝えたい生き方があるから、今更だけど私、発信力がほしい。|佐野知美|note(ノート) 

けれどきっと私が頑固で思い込みが激しくて未来は楽しくて仕方がない、世界は広くてたまに狭くてやっぱりきれいだと思う理由は、自己肯定感の強弱やその捉え方、もしかしたらそれすら意識して生きてこなかった背景にあるんじゃないかと、いまチェコの広場を見ながら思う。

ねぇ堤さん、美咲さん、「佐野さんは自己肯定感が強いからですよ」って、何の話題で言ったのでしたっけ。そしてあなたは、なぜその言葉を言ったのでしたっけ。

いつかまた日本に帰ったら、教えてね。私、その答えをどうにか探して、自分の言葉であなたに言えるようになって日本に帰るから。

自己肯定感の強弱、考えたことは、ありますか、ないですか。私は毎日、思い出したように少しずつその意味について考えたりしています。


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※このnoteは、7月上旬にチェコにいたときに書きました。

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