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改めて帰ってきてしまった、と想う夜に【日本・東京】

ひとりで見る世界と、ふたりで見る世界。飛行機で飛ぶ空と、鉄道で移動する地平線。それらはすべて違って当たり前で、「もしこうじゃなかったら」と想像することはできたとしても、同じ時間、もう一度やり直すことは私たちの誰にもできない。

何度も憧れた国を、私たちは自由に歩く。通り過ぎるリャマやアルパカの足音、遠くから響くアザーンの声、どこまでも透き通るカリブの海、誰にも知られない夜景のキス。

数年前に通り過ぎてしまったハンガリー、夢にまで見た南米のマチュピチュ、人生で行くことがあるとすら想像していなかったメキシコのセノーテ、ヨーロッパとアジアをいつか分けていたトルコのイスタンブール。

信じていいのか信じてはいけないのか、判断すらできないまどろみの中で、私はすべてを信じようと決めていた。失って困るものはもう何も持っていなかった。こんなにも先が未定なことも今までなかった。

そうか私が昔あんなにも手に入れたかった「自由」は、責任とのトレードオフ。翼があったらどんなにいいかと。ではたどり着けた先で羽を休めるためには何が必要なのだろうかと。

水を得た魚のように、歌を歌いながら世界を歩く。昔よりも知っている顔は増え、気づけば一人旅はひとりではなくなっていた。

どこまでもどこまでも行けばいつか日本は近づいていってしまうこと。知らない大陸は色を塗りつぶされるようにどんどんと無くなっていってしまうこと。その喜びと一抹の切なさを抱えて、時差も国も想いも超えてまだ先に進みたいとするならば。何を携えよう?と雨に聴く。


帰ってきてしまった。無事に帰ってくることができた。そして私はまた新幹線に乗り飛行機に乗り、そしてまた国を超えて。

そろそろ、短い旅は本当に卒業していいと思えた。次はもしかしたら、1ヶ月単位で同じ街に留まるのかもしれない。世界一周もした、書籍も出した、めでたいことに翻訳版もあの海の向こうで読むひとがいる。

風に乗って、月になんか行けたらいいのにね、と嵐の向こうで彼は言う。夢なんてないほうが、毎日は平穏に過ごせるかもしれないのに。

新しいマガジンをつくりました。今後は旅日記を『May』で書くことが増えるかもしれません。どうぞよろしくお願いします。■https://www.may.voyage/

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