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遅かれ早かれ降る雨ならば【日記です】

気が付けば言葉が次から次へ浮かんでくる時ってあって、それが大抵私の場合、noteの文章になっていくわけなのだけれど。

何をしても、何を見ても。どこにいても、眠りそうになっても。

そういう言葉たちを私はたまに垂れ流しそうになってしまう。けれど、「いやいやそれではいけない」とこの1ヶ月、2ヶ月、書き留めるだけ書き留めて、ただの日記のように、そっとしまっておくことが多かった。

誰かを傷つけてしまう言葉は、きっと垂れ流しにするべきでない。攻撃したい誰かが明確になってしまっている時は、私のnoteは紡がれるべきじゃない。

……あぁでも、そういうのって、「まだ俺は本気出してない」みたいな

書けるような気持ちになったのならば、また私は毎日のようにnoteや何やらを書いて生きてみたいと

思ったんだ。

じゃあ、書けばいいのだ。書きたいな。そう思って、私、またパソコンを開く。

※インタビュー原稿や企画文章は毎日書いてるよ…!別物なのだっ

正直、今少し酔っ払っている。と思う。13日に東京に久しぶりにきてからというもの、ランチ、飲み会、ランチ、飲み会。友だちという友だちに片端から会っていって、それでもまだ足りない。

仕事があったから東京に戻ってきた。嘘ではないけれど、完全にメインの目的は友だちに会って、顔を見て、笑って、くそぅ色々あったぞ!と言って、「じゃあ良いお年をね」と言って来年年明けまた帰ってくることを伝えたいだけ。

その日々の最中に私はいて、今日も昼間、空がとてもきれいで、雲がなくて、澄み渡っていて、私はだいすきな人たちとだいすきな横浜にいて、

赤レンガ倉庫のオクトーバーフェストが最終日だからと、気が向いたから行こう行こうとビールをたくさん飲んで、唐揚げをたくさん食べて、ソーセージや子どもの笑い声や髪の柔らかなあの感じ

全部吸収して、噛み砕いて、もう一度ひとりに戻る。

あぁ楽しいなと、シンプルに思う。月が綺麗だった、そんな夜。

***

「雨なんか降らないと思ってた」と少し早足で歩くみなとみらい。
「学生の頃、よく通った」と言いながら、懐かしいけれど少し変わった街並み。

変わらないこともあるし、変わることもある。

朝も夜も、一緒に踊った人たち。楽しくて嬉しくて、ねぇまた一緒に踊れたらいいねといつも笑う。みんなはもうお母さんになっちゃったけれど、私はもう少し違うことを探してみるね。

そういえば今日はランチの店で、懐かしいあの曲たちばかりがかかっていた。ダンス部という青春時代は、音ひとつで鮮やかに思い出される、過去にならない、すぐまだそこにあるみたいな


横浜から川崎を経由する頃には雨は土砂降りになっていて、今日は折り畳み傘すら持っていないのにね、と思って赤坂に着いたら、まだ何も降っていなくて「あれ?」と思う。

ゆっくりゆったり、今日眠る場所に向かって歩いてゆく。

そしたら川崎で見かけたあの土砂降りの気配がし始めて、「あぁ、遅かれ早かれ場所が変わっても、降るものは降るのだ」と

逃げても遠くへ行っても、降りかかるものは同じねとなぜか人生と重ねてしまう私はまだ多分、這い上がる途中だなと思った。

***

遅かれ早かれ巡り合うものがあるのなら、覚悟を決めている今、どうぞと思う私は調子に乗っているかしら。

人生を語るには私はまだ30年しか生きていないけれど、楽しいことがあれば、悲しいこともある、ということは身をもって知った。最高に楽しい3ヶ月の旅のあとの、今日に続くそのまた3ヶ月は、正直そんなに楽しいものではなかった。

じゃあ、もうバランスがとれたと思っていいかな。毎日毎日、ゲージを貯めていた。100になったぞ、と満月を見て思う。

フラットに戻ったはずの私の人生を、これからどう転ばせていく?

誰も知らない、月も知らない、私だけが決められる。

雨に降られながら、少し走る道。恵みの雨なら、いくらでも降ればいいと思った。

いつも遊びにきてくださって、ありがとうございます。サポート、とても励まされます。