めちゃくちゃな四半世紀
「まあ、いっか」と書きはじめたら、出てくる出てくる、いろいろな記憶
△承認欲求が高くてがんばりやさんだったこと
▲その裏には、がんばらないと認められないと思っていた
△承認欲求ベースで行動していても、本当にすきでやっている人にはかなわないとうすうす気づいていたこと
▲その裏では、本当にすきでやっている人に嫉妬したり、うらやましがっていた
△いつも傷つかないように行動していたこと
▲その裏では、感性のままに動ける人がキラキラしてみえていた
△「ここは安全な場所か」「受け入れてもらえる場所か」と距離感をはかるのに必死だったこと
▲その裏では、いつも不安があり、逆に強がったりして、なんだかいつも戦闘モードだった
△どこまで本当の自分の気持ちを出してもいいか、ということにエネルギーを使っていたこと
▲その裏では、本当の自分の気持ちを出すと、きらわれるのではないかと思っていた
※あくまで、わたしの視点です。当時の「ちいさな世界の、ちいさなものさしで捉えたこと」です。当時より少しだけ、大きな世界の、いろいろなものさしで捉えられるようになった今は、キラキラしているように見える人にも、いろいろなことがあるのだとわかるようになりました
学生時代は、部活のキャプテン、生徒会、応援団、など、目立ちめなことをしては、自分を保っていたなあと思います
でも、その奥には、いつも承認欲求と劣等感
思い出すと、ちょっと……(てんてんてん)な気持ちになります
当時は必死だったし、それしかやりかたがわからなかったから、逆に幸福だったのかもしれません
今の自分から、声かけられるのだとしたら「止まれー!」といいたい
必死で、目の前のことだけに向かっていたから、わたしの四半世紀(いや、それ以上)はちゃらんぽらんでした
大学は、すきでもない法学部に。すきでもない社会科の教職免許とって、バイトかけもちして
はじめての就職先では「やばい新入社員きたぞ」といわれ(はじめての仕事が、なんと“商品カタログの校正”! やりかたもわからず、とりあえず、岐阜弁で校正したら、それがまずかったらしい(そりゃそうだ)。いい先輩方だったから笑ってくれたけれど、「やばい」といわれてもしかたがない)
いい経験もさせてもらっていたけれど、人とちがうことがしたいと思って日本語教師になるための勉強をはじめ
日本語教師になってから、オーストラリアに1年。到着して2週間でホームシックになるというしまつ。大泣きしながら友だちと電話して「帰ってきてもいいんだよ」ということばに救われ
帰国して「先生」になろうと思ったら、「先生」界の上のほうの人にセクハラみたいな態度をとられ絶望し
日本語学校などで日本語教師をしているときは、アルバイトやパートを7つくらいかけもちし
本当に、なんか、めちゃくちゃ……
でも、そのとき、人生の修正が入ったのか、奇跡のであいがありました