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介護って、大変だけど・・。紙おむつパンツをつけ始めたのも自分が最初だった

私自身も、自分の持病で、色々と入院歴があります。

最後の入院は、意識混濁で、シモの世話をやってもらいました。その前の前の入院で、もうアンダーヘアは、剃っておくしかないと、悟り、必ずきれいにしていた。


まだ、年齢が若かったこともあり、ボットんトイレを病室内に置いてもらったり、夫がシモの世話を見様見真似でしていた模様。

夫の話だと、世界一高いホテルで、新婚旅行夫妻の新妻が、高山病がひどくなり、手に負えなくなったという夫妻の、手助けをもう、夫は、シモの世話から、何もかもしたと、そして、最終的には、とにかく高度を下げて、歩ける状態でなかったんで、おそらくレスキューヘリかなんかだったと思われます。クライアントではなかったようですが、ガイド業やっていると、あるある話のようです。(蛇足)


なんとか、転院して、機能回復、休養という目的の入院生活。OTにも参加し、1ヶ月で、退院できた。

最後の、紙おむつパンツの履き心地があまりにも良くて、退院してからは、紙おむつパンツ愛用者になる。

そんな折、お舅さんの甲状腺癌のことがわかり、徐々に、夜中のトイレが辛いという話を聞くようになる。夜中に頻繁に尿意を感じて、眠れないということ。

夫は、山で使う、ションボト案をだし、一物が入るぐらいのプラの広口びんなどを買って、持っていく。

私は、電話か、直接会ったときに、「あの〜、私、紙おむつパンツの常用者なんですよ・・」と自然に話した。

尿漏れとか、お腹が弱いので、非常事態がいつもあるわけで、仕方がなかったわけで。


と、ある日、姑さんから、オット宛に電話が・・。

私にだったか知らないが、「お父さんね、紙おむつパンツ履くようになったわよ」って、いつもの明るい話口調で。

強要するよりも、周りから、変わっていけば(私の場合は特殊)、というのも無理な話で。うちの場合は、たまたまですね。

病院にも、何度も足を運んでくれた、お舅さん夫妻でしたから、病院とは?施設とは?OTとは?と、何かの折に、心の隙間にそのなんとな〜くでしたけど、心に刻まれたようです。

お舅さんのディサービス通いの話しか、聞いておりませんが、我慢強いタイプのお方でしたから、今日は、ディサービスと聞くと、ご自分なりに準備して待機しておられたようです。

愚嫁の私としては、先例を作ることしかできませんでしたが・・

その分、実母には、まだ寝たきりではありませんが、おそらく苦労が待ち構えているような気がします。

母を介護するなら、テレビは、捨ててもらうこと。(テレビ嫌いなんです。受信料払えません。新聞代も払えません。)

ネット回線だけは、引いてもらうこと。(吐口が欲しい)

夜は、薬の服用があるので、猿之助さん事件のこともあり、追い詰められるほどの、負担があるのなら、まあ無理です。(もしも、万が一不慮の死(お風呂での事故)とか、あった場合、疑われるのは、まずは、自分のような気がします)問題は、薬の所持ですね。

基本的には、あてにはされてませんが、シモの世話は、耳栓でも、マスク、防御服を着込んで、やるしかないです。レスキューを考えると、汚い、綺麗とか、できないとか言ってられませんものね。(山岳レスキューです)

亡くなった夫の献身的な姿を思い出して、やるしかないです。もう、その時は、娘であるという意識を外すしかないですもの。夫の生き様から、私に大事なことを残して、この世を去ったように、今になって気づかされます。


履き心地は、スギ薬局のSーselectの紙おむつパンツ。M寸でも、ゆったり。安心感。お値段的にも、いい。介護用でしたら、スギのものがおすすめ。

一般に出ているのは、ユニチャーム系列の、ライフリーだけど、M寸でも少しピタッとしすぎて、コマネチラインのゆとりがないこと。少し、浅目。これは、変える時に、ドバッとなる可能性あり。(あえて、画像を貼り付けません。)

人それぞれですから、なんともいえません。


注意:私自身、次女でありますから、こんなことが書けると思います。全権、全責任を背負った、長女の立場であったら、また違うと思います。(申し訳ありません、長女の皆様方・・)


私のナスもどき体験お初は、パキスタンの遠征の時。

やはり、未開の土地の奥の奥に入ると、薬とか医療従事者なんて存在しないのであるから、歩き始めて、キャンプをする。地元民が噂を聞きつけて、「具合の悪い高齢の女性がいる・・見てやってくれないか」通訳を通して、判断も兼ねて、隊長に話す。オブザーバー参加の夫(なんせ経験値と年長と妻)に、相談する。ああそうだ、医療係だった。そうそう、お国によっては、男性が女性の体に触れることは、厳禁なところもあって。成り済まし医師もどきの夫は、判断し、問題ないであろう薬を少し小分け。または、直接、その高齢女性を連れてきて、場所も、通訳の案内で、宅ではなかったような。人目に触れない場所で。背中が痛いとかで。夫の指示を仰ぎ、私が、幹部を触る。この辺?このあたり?って、すると、夫は、湿布薬を出して、貼り付けるようにと、私に指示。その通りにした。

まあ、酷そうな患者は、パス。手に負えないから。


介助とか、介抱経験は、これも遠征時。酔っぱらいの介助。

遠征が終わり、最後の街まで降りる飛行場近くの宿にて、悪酔いする隊員。
夜中に、呻き声もれる、「畜生!畜生!」という言葉と・・おお?何やらようすがおかしい。で、その部屋を開けようとしても鍵。同じように感の鋭い隊員も来てくれて、外から、呼びかける。「開けろ!開けろ!」と。
と、なんとか鍵があいて、ヘドの海。これは、やばいと。とにかく、タオル、トイレットペーパーで、顔を拭ったり、口の汚物を吐き出させたり、しまいには、キッチンスタッフも現れて、シーツの始末、着替えさせたり。水、ミネラルウォーターでないと、いけないから。水を飲ませたり・・・。


ひたすら、ベースキャンプでは、夫の漏らしたズボン下、下着の洗濯。

高度が高いと、寒い、時は冬だったり、初夏だったりするが、冬は、沸かしてくれたお湯を水でぬるめたもので、洗濯。許せる範囲で、雪解け水で、ひたすら洗濯するおばさん化。最終日には、夫が朝起きず、様子を、その時の医療係に言うと、すぐさま、酸素ボンベを持って、現れ、酸素を吸わせてくれた。

野戦病院化した現場では、手も足も出ませんでした。

ただし、夫たちが下っている最中に、先に大怪我をして下ってきたクライミングシェルパの寝袋がないない?と探し回っていた時、今日一晩なら、夫たちは、降りてこないから、まあ、夫のシュラフでもと、もしも、戻してくれなかったら、どなられるのを覚悟で、差し出す。かなりの重症で、翌朝、オンブされながら、早朝下山して行った。寒いながらも、ちゃんとお見送りをした。キッチンスタッフが、責任を持って、夫のシュラフを返してくれました。
山でのものの貸し借りは、本当に神経を使います。でも、命の危険がある場合は、ああ〜と考えてしまう。国が違うと、難しい。

こんなものですね。あとは、救急医療についてのお話を聞く機会があった時は、お友達を誘って、聴講してます。そうそう、医療用ゴム手袋1っついは、必ず、3秒間で出せる場所に、必ず、持ち歩くようにしております。

高齢者介護と全然別の次元になってしまいました。まあ、そういうことも踏まえてですね。


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