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そんなに”苦労”を買いたいなら、”苦労したくない人”から売ってもらえば?!笑


【苦労は買ってでもするもの】

「今の自分は、苦労して勝ち得たもの!」って思いがある人は

「苦労は買ってでもするもの」

「幸せは苦労を乗り越えた先にある」

「苦労を乗り越えた経験は何にも代えがたい糧」

とか言いたがるし、

「ヒトも自分と同じような苦労をするべきだ」

苦労を強要したがるからめんどくさい!笑

「どれだけ苦労したか?」が重要で、同じレベルの苦労をしていない人を、「サボってるんだからダメに決まってる」と酷評する。

そんな人は、”幸せになる権利がない”くらいに見下してたりもする。


「サボらずにひたすら努力と忍耐を続けた人にだけ与えられる勲章がある」

と思ってて、子どもにも「たくさん苦労させればさせるほど、素晴らしい大人に成長する」みたいな都市伝説を信じてる。


苦労せずに何かを手にすることや、気を抜くこと手を抜くことが「罪」であるから、しなくてもいい”努力をしてますアピール”や、これみよがしな”頑張ってますアピール”に余念が無い。


そして?

「せっかく頑張って苦労して手に入れたんだから、やめてしまったら勿体ない」
「苦労が無駄にならないように、継続していくことが大切」

としがみつき、「継続することにこそ意味がある」みたいな呪文までかけて、どんどん深みにハマり抜け出せなくなる。

それが「頑張ってるのに苦しい」って言うぶつけどころのないしんどさになって、心身に蓄積するから、なんかストレス溜めてて疲れてる。


苦労してもしなくても、手にしたものの価値は変わらへんし、苦労して手にした幸せは、そうじゃないものより素晴らしいわけでもない。

ただ、「空腹が最高のスパイス」「ジラされると余計に興奮する!笑」「真夏の暑い日の作業後のビール」などと同様の作用は働くような気もする。

「苦労して大変だったからこそ、喜びもひとしお!」的な・・・。


仮にそう感じたとしても、その喜び(幸せ)のために、また再び「苦労」を買いに行く気になるほどのエネルギーを、その幸せから得られるのかは疑問。

私なら億劫になって、重い腰をあげる前に根をあげそうやわ!笑


どんな手段で手に入れても、さほど違いのない「幸福感」のはずなのに、ほとんどのヒトが

「苦労して得たモノの大きさや重要さ」

の方に魅力を感じるのは、やはり「周りからの評価が格段に高い」っていうのも手伝ってる気がする。


苦労=価値っていう価値観が、ますます「苦労を生む」。


それでもまだ、苦労を美化して、苦労を選びたい人は、ガンガン苦労を買いに出かけたらええ!

たださ〜。苦労を買うためには、苦労を売ってくれる人が必要やろ? 私がしてない分の「苦労」売ったるわ!笑

安くしとくで〜?笑笑笑


あぁ〜今日も、苦労もしないで上げ膳据え膳で食べるご飯はうまいわ〜笑

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