読書メモ 「バッハの生涯と芸術」

「バッハの生涯と芸術
 フォルケル 著
 柴田治三郎 訳
 岩波文庫 1988年



「音楽の父」と呼ばれ、西洋音楽の基盤を作った偉大な音楽家として君臨するヨハン・セバスチャン・バッハ。生前は宮廷の楽長として、またクラヴィーアの名手として活躍し、そして何よりも傑出した作曲家として膨大な作品群を遺したバッハだが、死後、その音楽はホモフォニー音楽の台頭により急速に忘れ去られていった。
それから100年後、バッハの音楽はメンデルスゾーンによる《マタイ受難曲》再演の大成功により蘇ることになる。「メンデルスゾーンが“肉屋の包み紙”になっている《マタイ受難曲》の自筆譜を発見した」という有名なエピソードは、生前の音楽家としてのバッハの評価が高かったことを考えると、怪しい気もしてくる。しかしバッハの長男であり、最もバッハに寵愛されて育ったとされるウィルヘルム・フリーデマンが、父の亡き後生活に困窮し、相続した自筆譜を売却したという話もあるので、やはりそのエピソードは事実なのかもしれない。
メンデルスゾーンによる《マタイ受難曲》再演は1829年だが、本書はそれに先立つ1802年に、最初のまとまったバッハ評伝としてフォルケルにより上梓された。これはメンデルスゾーン以前に、バッハ受容の素地が整いつつあったということであろう。


ヨハン・ニコラウス・フォルケルは、バッハが亡くなる1750年の前年、1749年に生まれた。独学で音楽を始めたが、17歳でシュヴェーリンの大聖堂の合唱指揮者になり、ゲッティンゲン大学にて法学、哲学、古典文献学、数学等を学び、そのままゲッティンゲンに住みつき、著作を含む音楽活動を続けた。1779年には同大学のオルガニストになり、後に音楽監督に任命され、1818年に亡くなっている。その中でバッハの長男、ウィルヘルム・フリーデマンや次男、カール・フィリップ・エマヌエルと交流があり、彼らから得た情報をもとに本書を記したと言われている。


「古典的名著」と呼ばれることもある本書だが、実際に読んでみると、その印象はむしろ「熱狂的啓蒙書」と言った方が、しっくりくるような気がする。バッハを手放しで賛嘆する筆致は、少々客観性に欠けているし、最もページを割いたバッハの作品解説に登場する曲は、クラヴィーア曲やオルガン曲に偏っており、カンタータ等のバッハの主戦場とも言える膨大な数の歌曲作品群の解説は、実にあっさりと終わっている。
その理由は、やはり訳者があとがきで述べているように、フォルケル自身がオルガニストであり、作曲や演奏をする「音楽の実践家」であったということに尽きるであろう。実際「クラヴィーア奏者としてのバッハ」「オルガン奏者としてのバッハ」「作曲家としてのバッハ」という章でのフォルケルの、熱を帯びた語り口が全てを物語っている。


結局、これも全く訳者の言うとおりなのだが、この偏りがかえって大きな熱量を生み、バッハ再興の大きな原動力となったということなのだろう。フォルケルがこの書を記した時代背景を考証せずに、本書に対して正当な評価を下すことはできないにしても、時として歴史の変動には理屈ではなく、ある意味「個人の大きな思い込み」が大きく作用することがあるのかも知れない。

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