私のライフシフト②  100年時代の人生戦略

1972年生まれの私が、人生で最初の大きな選択を迫られたのは1987年、高校進学のときでした。

当時15歳の私は、成績は良かったものの、学校で学ぶ知識が何の役に立つのか?という疑問から、早く自立したい、そのためには手に職をつけたい、と考えていました。当時の高校進学率は93.9%、大学進学率は男性が35.3%、女性が13.6%、全体で24.7%という時代でしたので、両親も先生も「高校くらいは行きなさい」と聞く耳をもってもらえず、行けそうな、自転車で通えそうな学校を受験し、無事合格します。

当時の受験制度は今とは違い、群制度という制度だったので、同じくらいの偏差値の学校が群というグループになっていて、受験者は合格してどちらの学校に入学するかがわからないという制度でした。私は運よく行きたいと思っていた方の学校だったのでよかったのですが、どちらになるかは天の采配なので、発表までドキドキしたのを覚えています。

そして、進学校に入学したわけですが、高校へ行くことにすら疑問を抱いていた私は、当時、大学生が親のすねをかじり、勉強もせず遊んでばかりいるという報道を見ながら、大学へは行かないという決意を固めていました。

ちょうど、その頃、親との確執が深まり、余計に親に世話になるのが嫌だという気持ちが強く、早く家を出て独立したいという気持ちも強まったのです。

ホテルで働きながら学校へ通え、海外ホテル研修制度もある専門学校を見つけ、早々にそこへ行くことを決めた後は、模試を受けることもなく、アルバイトをしながら高校生活を送りました。

今、ちょっとだけ後悔しているのは、あの時、大学進学という選択をしていたら、また違った人生を歩んでいたかもしれないなと。息子の大学受験を応援するにも、事情がよくわからないので。。。

そして無事に3年で高校を卒業し、寮に入って専門学校へ通います。

当時、時代はバブル経済の真っ只中。。。

1980年代前半、日本経済は円安の影響を受けて輸出産業が成長し、貿易黒字国となっていました。一方、アメリカでは国内製品が売れず、景気悪化が深刻となり、その改善として日・米・英・独・仏の5か国による「プラザ合意」が発表され、基軸通貨の米ドルに対して、各国通貨を一律10~12%切上げる協調介入が実施されます。日本は円高となり輸出産業の不況が国内景気にも大きな影響を及ぼします。そこで打ち出された金融政策が、1986年から1991年のバブル経済を生み出したといわれています。

この時の私は、まさにエクスプローラー(探求者)のステージ。

「ライフシフト」の本の中に出てくる、これからの新しいステージの1つです。

エクスプローラーは自分を探求する期間と定義されます。自分が生きている社会がどのようなものかを知り、その中で自分の強みや弱みを発見し、強みを活かして自分を活躍させる場所を探す、また経験を重ねて自分自身を成長させる、そんな時期です。

日本の新卒一括採用も昨今はさまざまな物議をかもしていますね。2021年春にはこれまで60年続いていた就活ルールが廃止されます。狭き門をくぐりぬけて就職した人でも、3年以内に3割が辞めている(高卒者は4割)というデータもあり、考えさせられます。

「ライフシフト」の中では、これまでの教育、仕事、引退の3つのステージから、教育、エクスプローラー、インディペント・プロデューサー、ポートフォリオ・ワーカー、引退の6つのステージを組み合わせる生き方を提唱しています。

大きな流れとしては3つのステージと変わりませんが、仕事のしかた、つまり、「働き方」に多様性と柔軟性が必要な時代なのだという問題提起かなと思います。それは、働く私たち「個人」、働いてもらう「企業」、それらで成り立つ「社会」。この3つが調和すること、WINーWIN(三方良し)になることを目指して活動していくことが大切だということではないでしょうか。



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