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読後感想「幻の父を追って」法安桂子著

最近「縄文」ネタが多いなと思っていた矢先に、高校時代の同級生から(高校の大先輩である)中谷宇吉郎の弟が、縄文研究の先駆者で、今度長女の方が書かれた評伝が出版される、という話を聞いた。中谷治宇二郎。聞いたことのない名前だ。ぜひ読んでみたいと思って、彼女にねだってAmazonで販売される前に手に入れた。(注:現在Amazonで入手可能です)

中谷治宇二郎という人

中谷治宇二郎は、日本の人類学草創期に、縄文時代をはじめとする先史を体系的に研究した。フランスの留学の経験もある治宇二郎は、多くの論文を、日本語のみならずフランス語、英語でも書き遺している。とりわけ、発掘した遺物を詳細にスケッチし、3万枚に及ぶカードにして分類するなど、科学的分類法や思考法を人類学上に取り入れる画期的な手法を遺した。その業績は、大森貝塚を発見したマルセル・モースの耳にも届いており、治宇二郎がフランスで彼の講義を聴きに行った際、日本のナカヤの論文について紹介したという逸話がある。のみならず、治宇二郎は、1930年代に、日本の考古学の存在をヨーロッパに伝えた最初の日本人でもある。
それだけではない。高校(旧制中学)時代に友人と作った同人誌に掲載した短編小説が、芥川龍之介の目に留まり、絶賛されたという。
そのようなおびただしい業績を残しながら、治宇二郎はあまり知られていない。現に私自身同郷で高校の大先輩なのに、全く知らなかった。
それは、彼が34歳という若さでこの世を去ったこともあるが、その謙虚で控えめな性格にもよるのかもしれない、と後年、柄谷行人は、彼や宇吉郎、宇吉郎の長女で霧のアーティスト、中谷芙二子の共通点として述べている。
また作者は、柄谷の言を受けて「ただただ、仕事を愛し元々名誉を誇る気持ちを持ち合わせていない」と、彼ら3人の共通点について評している。

文学者としての治宇二郎

もし治宇二郎がここまで控えめで謙虚でなければ、もしかしたらそのまま小説家になっていたかもしれない。あの芥川が褒めちぎっただけあって、彼の短編「独創者の楽しみ」は(巻末に掲載されているが)、瑞々しさと速度感のあるキレが身体の深い部分で共振する素晴らしい作品である。平家物語にモチーフを取っているが、古典や和歌への素養の深さが伺え、とても10代の若者が書いたとは思えない。旧仮名遣いで書かれたその作品からは、日本語の美しさ、凛とした清々しさが感じられ、日本語本来の持つ品格を味わえる。また、鎌倉時代から一気に現代(当時)の高校生の日常に持っていく構成もダイナミックかつ無駄がなく、ニヤリと笑わせる結末も素晴らしい。何より人間への鋭い洞察力により、作品が立体的に動き出す面白さがある。
しかし後年、小説家にならなかった理由を「自分には癖があるから」と言ったそうだ。自分自身へも冷静な目を忘れない。彼の謙虚さは、徹頭徹尾科学的で冷静な観察眼からきているのかもしれない。

岡潔との交流

ちなみに、前出の柄谷は、治宇二郎、宇吉郎、芙二子の3人の共通点は、科学と芸術をつなぐような仕事をしたことだと語っている。
科学といえば、フランス留学時代に無二の親友となった岡潔との交流も、貴重な資料である。治宇二郎本人にとってもかけがえのない人生の宝物だったと思うが、読者にとっても、当時の同じ思いや方向性を持つ若者同士が、どんなにか互いに支えになって深くつながり合っていたかを垣間見ることができる。通信も情報も不便な時代ゆえの豊かさを感じずにはいられない。

兄に宛てた最後の手紙

本書の中で、治宇二郎が兄、宇吉郎に宛てた最後の手紙が紹介されている。病に臥せっている兄嫁を気遣う内容である。
「...病気は生きていることを恐れなければ必ず癒ります。...悠々なるがままに委せて病を楽しむ心境になってください。私は今、...少なくとも5つの不治の病を持っています。...然し、未だ嘗て悲観したことも希望を捨てたこともありません。楽は自ずとその中にあるのです」
治宇二郎はこの手紙を執筆した後、2週間もせずに亡くなっているが、これが死に向かおうとしている人の書いたものとはとても思えない。生きるという希望、未来に向けて拓けた期待に溢れていて、この言葉に触れただけで元気が出そうだ。宇吉郎もお嫁さんもさぞ励まされただろう。死を目の前にして、死の匂いをチラリとも感じさせず、生きる力に溢れている。まさにこう在りたいと願うばかりである。

生き切った人の清々しさ

治宇二郎は34歳で亡くなるまで、病と共にありながら、凄まじい勢いで調査研究、執筆し、風のように去って行った。
生と死は本来、平衡関係にあり、ある意味全力で生きているという勢いが、ある時死に転換しただけで、勢いや生命自体は存在し続けていると聞いたことがある。
死の直前まで研究や執筆を続けた治宇二郎には、やりたいことがまだまだ山のようにあっただろう。なのにこの著作から感じる彼の印象からは、執念とか、悔しさみたいなねっとりしたものが全く感じられない。むしろ生き切った人の清々しさだけが読後に残る。
これは、著者である長女の桂子さんが、自分の父について殆ど何も知らなかったとことも幸いしているのかもしれない。変に思いばかりが強いということもなく、淡々と書かれている。実は桂子さんが20年かけて執筆した労作だという。その重厚さが端然とした構成にしっかりと配置されていて襟が正される。それだけに、ご本人は意識されていないと思うが、父への深い愛情が通奏低音のように迫ってくる。

治宇二郎研究これから

北陸の曇天の多いあの気候風土から、こんなずば抜けた才能が飛び出したと思うと深い感動を覚える。ちょうど縄文で盛り上がっている昨今、ぜひさらなる治宇二郎研究と『日本先史学序史』『日本縄文文化の研究』など専門書の再販、そして、小説や随筆、随想、手紙などをまとめた書籍などの発刊が実現したら、と、読者のわがままな欲望は増幅するばかりである。



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