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「同じ船に乗る」信頼関係の必然性を探る

人と人の信頼関係は「同じ船に乗っている以上、力を合わせなくてはやってけない」という必然性から自然発生したんじゃないかと思います。

同じ船に乗ることで生まれる関係は、会社や家族、地域社会など、古くから様々なコミュニティで発展してきました。

しかし昨今のように、買い物はネットで、食べるのもコンビニで買ってきて一人で、やりとりも実際会わずにSNSで、と、わざわざ共同作業せずとも人生が成立するようになると、従来のように信頼関係を築き上げて同じ船を操縦しなくては、という必然性が見出しにくくなっているのではないかと思います。

長い年月、人間は他者と協力しあって生きてきたので、いきなり一人になってしまうと信頼関係という拠り所を失い、心身に異常をきたしてしまう可能性が高くなるのではないでしょうか。もちろんコミュニティも成り立たないでしょう。

人間は物語を共有するということで、独自の発展をしてきたそうです。そのために秩序や思いやりが美しいという感覚を発明してきた。しかし、今や美しいと感じる力は人間の拠り所となり、逆にそれがなくては人間らしい生き方ができないようになってきた。

このようにして人類が生き延びる術として生まれた「文化」は、人類を特徴付ける力になっていったわけです。そして今や、そういった独自の人間の文化である、物語を共有することから生まれる信頼関係(広くは「共同主観」まで)のあり方が、大きく変わってきつつある。それが昨今のネット時代ではないかと思います。ご先祖の目には、この状況はさぞかし不思議な光景に映ることでしょう。

そういった時代に、私たちは一体何をどうしたらいいのだろう、ということをよく考えます。子供たちには、一体何をどう教えたらいいのだろうか。

前提として、「同じ船に乗っている」ということは、いくらコミュニティがあやふやになったとしても、人類という種として考えれば崩れることはないでしょう。そして一旦発生した「文化」という、個というよりはコミュニティとしての感覚体験の仕組みはなくなることはないと思います。

生物は、一度進化したら逆戻りはできないと聞いたことがあります。とすれば、今一度文化という体験、物語の共有体験がどう発生してきたのかについて、遡って考える時なのかもしれません。

未来はそもそも前にあるものではなく、後ろにあるものだったと中世以前の日本人は考えていたそうです。であれば、文化の発生について丁寧に見直し検証していく中で、未来に繋がることがきっとあるんじゃないかと思います。

例えば、日々の瑣末なこと、家族との触れ合いから掃除洗濯、食事、そして諸々のおつきあい。こんな意識しないような、日常生活の立ち居振る舞いの中に、秘密が潜んでいるのかもしれません。それらを「そもそも、これってなんなんだ?」と感覚体験や物語の共有体験としての視点から検証し直していく。馬鹿げているようで実は大事なことなのかなと思います。



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