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扉をひらく

『何のために書くと思う?ー社会貢献よ』

「わたしもね、最初書いた作品はこんな文章書いて人の役に立つなんて思ってもみなかった。でもね、これを読んで共感しましたとか、救われました、とか、いう人がいて、びっくりしたの。書くって、社会貢献なの。書くことで救われる人がいる。だから小説家は書いているの」

ランディさんの余韻がずっと残っている。田口ランディさんの『クリエイティブ・ライティング』講座から1週間。言われた言葉が心の中でずっと響いていて、熟成されている。

『書くことの内容って何だと思う?ー記憶よ』

「普段はね、人は意識の層で動いてる。でも幼い頃の記憶、両親や祖先の記憶、それよりもっと深いところに宇宙があって、それらの記憶にアクセスして書くの。どれぐらい深く潜れるか。たくさんの人を感動させる小説家や芸術家っていうのは、宇宙の層にアクセスして書くから、たくさんの人に感動を与えるの。」

『書くためには何が重要だと思う?ー視覚化。観察することよ』

「徹底的に観察すること。その視覚化した画像を頭にインプットする。それを繰り返す。その視覚化した情報を言葉にアウトプットするのをくり返す。それが小説家なの」

ひとつ、ひとつが衝撃だった。大好きな尊敬する作家 田口ランディさん。あけっぴろげに赤裸々に綴る彼女の文章の裏側にあるものが見たくて参加した、ライティング講座。自分の内面に真正面からぶつかるライティングの時間、対象物を丁寧に観察して中に何が入っているのかをあてる時間(これ衝撃だった!)、ひとつひとつがわたしの記憶とつながり、魂がゆさぶられて、身体の中に落とし込まれていった。これまで蓋していた部分が開いた。

もともと書くことはやってきていた。27,8歳から「ともこノート」を作って、何か心にひっかかかること、頭を整理したいことがあるとノートに書き綴っていた。いまは26冊目。10年以上続いている。もっとたどると、小学校低学年の頃、いつも日記をつけていた。大好きだった担任の先生に出して、優しくてあったかいコメントをもらうのが好きだった。小学校3 年に上がった時、担任の先生があまり好きではなくなってやめた。また5年になって再開したけれど、担任は男の先生。自分の内側を書くのが何だか恥ずかしくなって途中でやめていた。

やっぱり書いていきたい。もっと自由に書きたい。ランディさんの言葉が心の中にこだまして、扉がひらいた。