本当の孤独

「不安」という感情は曖昧なものである。それは、非合理的で、意味不明だ。

大学入学当初、ぼんやりとした不安と生きていた。

4年経った今、ぼんやりとした不安は現実になり、輪郭ができ、目の前に現れた。

4年前は、不安に思うことで、不安をかき消した。不安に思うことで、思考を停止させ、身体が停止した。

それでなんとか、今までやってきた。でも、最近、思考停止スイッチみたいなものが壊れた。

迫り狂う不安、暴走する思考、止まってと悲鳴を上げても止まらない身体。

制御機能を失い止まらない体は、思考を手放し、思考を別の場所に追いやった。

別の場所に追いやられた思考は、物凄いスピードで体の先を行く。

そんなこんなしているとある現象が起こる。

「何も感じない」

車がすれすれで自分を追い越しても、ヒヤリともしない。体が雨で濡れ震えていても、温めようとは思わない。ご飯を食べても、美味しくない。

「辛い」と「どうでもいい」の中間は、希望がある。

中間にいる時は現状を変えるべく、もがき、苦しみ、あがいて1日を生きる。その時は、なんだかんだ言って、全力で生きていているから辛いけど、楽しい。

その過程を経たら、物事に、無関心になる。

苦しみもなけらば、喜びもない。あるのは、目の前にある景色だけ。

時間という概念すらなくなる。

他人の時間の流れに入り込むこともなければ、他人を自分の時間の流れに吸い込むこともない。

淡々と起きる物事に対処するだけで、それらに対する感情など存在しない。

この感覚をなんと呼ぶのだろうか?

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もくん
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