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谷田川惣「明治天皇は伏見宮系皇族の永世皇族を望まれた」はデマ

 なんでこんな初歩的なデマをよりによって明治節に流す不敬な自称保守がいるのか。
 谷田川惣氏は「憲法無効論は破綻した論理」なる文章を発表したことで有名な、ネトウヨの論客である。最近は「コラムニスト」を名乗っているが。
 ネトウヨは「自民党よりも右」な存在には異常な敵愾心を燃やす習性があり、谷田川氏の「憲法無効論は破綻した論理」はネトウヨの間で反自民右翼(=真の右翼)を攻撃するためのバイブルのような存在となっていた。
 その谷田川氏が令和6年(西暦2024年、皇暦2684年)11月3日に(谷田川氏と親しい竹田恒泰氏は「皇暦ではない!紀元と言え!」という旨の主張をしているらしいが、私は日常では西暦を使っているのだから、ほっといてくれ)、こんなツイートをした。

「11月3日は明治天皇の誕生日(明治節)。明治天皇は皇位の男系継承を守るため、伏見宮系皇族(旧宮家)の永世皇族を望まれた。4人の皇女は東久邇・竹田・北白川・朝香宮に嫁がれた。そのことに思いを馳せる日でもある。」

 彼によると明治節とは、畏れ多くも明治天皇が「伏見宮系皇族(旧宮家)の永世皇族を望まれた」ことに思いを馳せる日である、という。そんなこと、生まれて始めて知ったが、私が無知なだけかもしれない。
 ただ、確実な事実としては、確かに明治時代に「永世皇族」の制度が確立したものの、それが伏見宮系皇族に便宜を図るためとは言い難い、と言う状況がある。
 例えば、江戸時代までは伏見宮家の当主は天皇や上皇の養子や猶子になると言った方法で代々親王となってきたが(世襲親王家)、明治天皇の御代となり『皇室典範』が制定されるに及んで皇族の養子縁組は禁止となり世襲親王家も廃止された。以後の伏見宮系皇族は「親王」ではなく「王」となっている。
 養子縁組には別の効果もあった。実子である男子が生まれなかった宮家は「御家断絶」となったのである。これは伏見宮系皇族もその例外ではなく、もしかしたらハワイの王様になっていた可能性もある東伏見宮依仁親王も実子がおらず、養子縁組も認められなかったため、東伏見宮家で養育されていた皇族の邦英王は東伏見宮家の祭祀を継承する目的で臣籍降下したほどである。
 もしも明治天皇が「皇位の男系継承を守るため」に伏見宮系皇族の永世皇族を望まれたのであれば、養子縁組による宮家存続を望まれたはずであり、祭祀を継承する目的で臣籍降下するなど明治天皇の大御心に反する行為であるとして大問題になっていたはずである。
 なお、谷田川氏の言う「4人の皇女は東久邇・竹田・北白川・朝香宮に嫁がれた」と言う話は「皇位の男系継承」云々の観点からすると、蛇足ではあるまいか。
 男系継承を絶対視するのであれば、明治天皇との女系での血縁は関係無いはずである。
 ただ、谷田川氏が旧宮家と明治天皇の「女系」での血縁の近さを強調する背景には、実は旧宮家は男系であっても一部の華族よりも皇統から遠い、という事実があるのであろう。
 伏見宮家は南北朝時代に北朝から分かれた家であり、旧宮家はその血統である。
 一方、一部の華族は江戸時代の東山天皇の男系子孫である。その中には反安倍政権の活動をしていた常磐井男爵家も存在する。
 仮に男系の血統を守ることが最優先であるならば、谷田川氏は反自民の活動家である常磐井男爵家の当主に頭を下げて皇族となってもらわねばならない。間違っても常磐井男爵家よりも遠縁の、女子高生の脚の写真を盗撮した安倍信者を皇族にしてはならないのである。
 もしも常磐井男爵家が皇族になるのが嫌であれば、後宮制度を整備する他ないであろうが、谷田川氏や竹田恒泰氏は側室・後宮制度については否定的である。谷田川氏曰く「男系で血統の近いものが皇族になればよい、フランスでもその例がある」というのであるが、それならば「伏見宮系」よりも常磐井男爵家しかないであろう。
 もっとも、常磐井男爵家が皇族に復帰してしまうと、自民党議員は顔面蒼白であろうから、このような案は通るはずがないが。(笑)
 そして、実は明治時代には女性皇族と東山天皇の男系子孫である華族とが婚姻された場合には皇位継承を認める、という案も実際に存在したのである(公式に明治政府が作った案としては「皇室制規」がある)。
 いずれにせよ、明治天皇が伏見宮系皇族によって男系継承を維持しようとした、と言うのは事実に反するであろう。仮にそんな史料があれば教えてほしいものである。


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日野智貴
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