「自民党には不満があるけど保守派だから自民党を消極的に支持する」「立憲民主党は左翼だから支持できない!」「立憲民主党にも保守派がいるとはいえそれは一部で、幹部はみんな左翼だ!」・・・ネットだけでなくリアルの世界でも、場合によっては政治活動をしている人たちまで信じ込んでしまっている、こうした情報。
私は前回の記事で夫婦別姓や同性婚を例にこうした話が間違いであることを指摘しましたが、それでも夫婦別姓や同性婚「だけ」ではこうした評価を覆すことは難しいでしょう。
そこで、前回の記事で「真正保守」「穏健保守」に分類した立憲民主党の衆院選公認候補の「保守的」「愛国的」な言動を紹介します!
また前回の記事では「穏健リベラル」に分類した候補者の中にも『大日本帝国憲法』復原・改正の請願の紹介人になるような明らかに“右側”の方もいるので、そうした候補者も含めて合計47人の保守派の公認候補を紹介することとしました。
彼らの中には、閣僚経験者や党執行部のナンバー3をはじめとする大物政治家も多数います!本当に「保守なら自民」「政権担当能力は自民」なのか?この記事を機に多くの方に考えてほしいです。
原口 一博(佐賀1区・つながる本部参与・元総務大臣)
消費税増税と有害ワクチンに反対する国士
原口一博先生は平成5年(西暦1993年、皇暦2653年)の保守分裂までは自民党員でしたが、平成5年に初めて総選挙に出馬した際は無所属で出馬、その後保守系野党の新生党に入党し、今に至るまで一貫して反自民を貫いています。
マスコミとネトウヨは「反自民=左翼」という印象操作を行っていますが、平成5年の政変で自民党を離党した人たちはむしろ保守派が多く、原口一博先生も当選後は拉致議連や靖国議連で活動するなど、保守派として活動しています。
一方で外国人参政権を条件付きで容認するなど、排外主敵的な主張とは距離を置いていることでも知られています。
民主党政権では総務大臣を務めましたが、平成22年(西暦2020年、皇暦2670年)の民主党代表選挙では閣僚でありながら時の菅直人首相に反旗を翻して対抗馬の小沢一郎先生への支持を表明するなどしたため、菅直人首相は代表選後の内閣改造で事実上原口先生を解任、さらに原口先生が任命していた総務省顧問も全員解任するなどしています。さらに同年10月には超党派の議員連盟「国家主権と国益を守るために行動する議員連盟」の結成に参加して、菅直人首相の売国的な外交政策と真正面から対決します。
平成24年(西暦2012年、皇暦2672年)には消費税増税に反対するため消費税増税法案等の採決で棄権、民主党からは厳重注意処分を受けます。
その後も党を離党することはせず、民進党、旧国民民主党、立憲民主党といずれも党の機関決定通りに所属を決めてきました。一方で党の方針に隷従することは無く、最近ではサーズ2型ワクチンに反対するなどの活躍をされています。
重徳 和彦(愛知12区・政務調査会長・行政刷新会議事務局参事官補佐)
毎年皇居清掃奉仕団と靖国神社参拝
自民党信者から「悪夢のような民主党政権」を持ち出されて批判される立憲民主党ですが、そのナンバー3である政調会長の重徳和彦先生は、民主党政権時代には官僚から転身し自民党員として政治活動を始めた人物。官僚時代は行政刷新会議事務局参事官補佐等の要職を歴任していました。
平成24年(西暦2012年、皇暦2672年)の総選挙では旧日本維新の会から出馬。その後、維新の党を経て民進党結党に参加しますが、民主党に所属していたことは一度もなく、ネトウヨによる民主党政権批判が一切通用しない方です。
毎年皇居清掃奉仕団と靖国神社に参拝している勤皇家でもあります。「文化の日」から「明治の日」への改称にも賛成しています。
事実無根の「文春報道」!冤罪に対して無実を勝ち取る
昨年、『週刊文春』が重徳和彦先生の「強制猥褻容疑」を報道しました。一時期ネット上では左翼とネトウヨが組んでこの疑惑を根拠に重徳和彦先生への人物破壊を行っていましたが、私が重徳和彦先生のこの疑惑が怪しいことをnoteに書くと不思議とこの疑惑は沈静化しました。
今年9月25日、検察も正式に重徳和彦先生を不起訴とし、「文春報道」は冤罪であることが明白となりました。
事実無根の罪で攻撃されることは、却って重徳和彦先生の主張が正しく、この国の支配層にとって脅威であることを示しています。
小沢 一郎(岩手3区・衆議院議員選挙総合選挙対策本部長代行・元自治大臣)
一貫して「国民の生活が第一」訴える“剛腕”
小沢一郎先生は55年体制下で自治大臣や自民党幹事長等を歴任した、保守本流の大物政治家です。55年体制下では「親米保守の自民党VS反米革新の社会党」という図式の対立軸が主軸でしたが、小沢一郎先生は自民党時代から「アメリカの侵略戦争であるベトナム戦争には反対、イラクの侵略に対する国際社会への制裁である湾岸戦争には日本も協力すべき」と訴え、日本も参加する国連常備軍によって侵略を抑止し国際平和を実現するという、対米従属でも一国平和主義でもない「国連中心主義」を主張しました。
また学生時代から小選挙区制の導入を訴えており、一つの選挙区から複数の候補者が当選する中選挙区制(必然的に自民党や社会党は「同じ党で同じ地域」なのに複数の候補者を擁立するため、よく言えば党よりも人で選ばれるが、必然的に一部の業界団体やノイジーマイノリティの意見が反映されやすくなる)の弊害の是正を持論としていました。
平成5年(西暦1993年、皇暦2653年)に内閣不信任決議案に賛成して自民党を離党し、新生党を結成。総選挙後は自民党がまだ第1党でしたが、小沢一郎先生は“剛腕”を発揮して非自民非共産連立政権の樹立を主導し、現在の衆議院の選挙制度である小選挙区比例代表並立制を実現させます。
小沢一郎先生の主張についてはよくその「変節」が指摘されますが、実際には小沢先生は組む相手を変えることは頻繁にあっても、全体的な思想は変えることがありません。自民党時代から著書『日本改造計画』で「長時間労働からの自由」を唱え、民主党代表時代には「国民の生活が第一」を主張、民主党政権でそれが実現しないと見るや民主党を離党し日本未来の党の結党を主導しました。
自衛隊活用には積極的で、治安維持のための国家警察復活にも賛成であるため、左翼からはタカ派と批判されていましたが、外国人参政権には条件付きで賛成、安倍政権下の「戦争参加法制」には反対の立場です。
全くブレていない小沢一郎先生の憲法観
小沢一郎先生の憲法観についても左翼とネトウヨの双方が変節を指摘していますが、
①純粋法理上は『日本国憲法』は無効
②平和主義は維持するが(護憲派とは違い)国連中心主義で実現
ということは全くブレていません。
以下に検証します。
・自民党時代
・保守系野党時代
・民主党時代
・野党共闘時代
・立憲民主党時代
小川 淳也(香川11区・幹事長・元総務大臣政務官)
「保守派を包摂したリベラル政党」訴える
民主党出身の小川氏は、希望の党歴はあるものの、基本的にリベラルな色の強い候補者ではあります。一方で「保守派を包摂したリベラル政党」で政権交代をすることを唱えるなどしています。
過去には「現行憲法が確かに敗戦という異常な状況の中で当時の天皇主権から国民主権へと全くその矢印の向きが変わってしまったわけでありまして、そこに大きな革命的な断絶があること、これは否定しようのない」と述べるなど、憲法無効論にも理解を示してきました。
幹事長として、保守とリベラルの双方を包括する国民政党を如何にして実現するかが、問われます。
青柳 陽一郎(神奈川6区・国会対策委員会副委員長)
「反自民」貫く保守傍流のホープ
青柳先生は元々保守傍流(自民党清和会等の流れ)の出身でしたが、選挙では平成24年(西暦2012年、皇暦2672年)にみんなの党から初出馬して以降、一貫して反自民の立場です。
その後結いの党の結党に参加し、維新の党を経て民進党に合流、さらに民進党も離党して旧立憲民主党に入党した経緯があります。
旧立憲民主党時代は党で唯一の靖国議連に所属する議院となるなど、保守派としての信念を貫いていました。
野間 健(鹿児島3区・国会対策委員会副委員長・郵政担当大臣秘書官)
新自由主義に一貫して反対した真正保守政治家
野間先生は平成5年の初出馬の際には無所属で、その後、民主党から国民新党に入党、自民党の新自由主義政策に反対を続けます。平成24年の総選挙では全国で自民党が圧勝する中、野間先生は自民党の現職議員を落選させるという快挙を演じます。
国民新党が事実上解党された後は無所属で活動を続けますが、平成29年(西暦2019年、皇暦2679年)に希望の党の結党に参加、保守二大政党制実現へと動きます。その後、旧国民民主党を経て立憲民主党に参加します。
また「子どもへのワクチン接種とワクチン後遺症を考える超党派議員連盟」にも参加し、有害ワクチンに否定的な立場を取ります。派閥は小沢派です。
昨年は健康保険証の維持を訴えました。また鉄道貨物の利用拡大についても動かれています。
「低所得子育て世帯給付金」再支給法案(正式名称:低所得である子育て世帯に対する緊急の支援に関する法律案)の提出も主導するなど、新自由主義に反対する真正保守政治家として活躍を重ねられています。
岡田 克也(三重3区・常任顧問・元外務大臣)
小沢一郎先生と一緒に新生党を結党
岡田顧問は平成5年に小沢一郎先生と共に自民党を離党して新生党を結成して以来、一貫して反自民の立場です。
一方で民進党初代代表として野党共闘を実現させた功績もあります。
「小選挙区で勝つ」という意味を込めた「小勝会」というグループを率いる岡田顧問の今後の戦いに注目です。
笠 浩史(神奈川9区・国会対策委員長・元文部科学副大臣)
南京事件・「慰安婦」問題での歴史改竄に抗議
笠浩史先生は民主党出身で一貫して反自民の政治家ですが、南京事件や「慰安婦」問題における反日勢力による歴史改竄には抗議している愛国政治家でもあります。
民主党政権時代も現役政務官でしたが靖国神社に堂々と参拝されていました。
平成29年には希望の党の結党に参加、その後、希望の党の分裂を受けて無所蔵となりますが、立憲民主党の結党には参加されました。
玄葉 光一郎(福島3区・元副代表・元外務大臣)
閣僚として「菅直人談話」に不満を公言
玄葉先生は55年体制下では自民党の地方議員でしたが、平成5年に自民党を離党し衆院選に出馬して当選、そのご旧民主党の結党に参加し民進党に至るまで離党しませんでしたが、旧国民民主党には参加せず無所属で活動します。
民主党政権時代には菅直人・野田佳彦政権下で閣僚を務めましたが、菅直人首相が韓国に植民地支配を謝罪する内容の談話を発表した際には、閣僚でありながら記者会見で「今回はサインをするけれども、今後にあってはやはりかなり早い段階で御相談いただきたいということを、あえて閣僚懇の中で仙谷官房長官、そして菅総理に申し上げた」と述べ、菅直人首相による売国外交に諫言を行っていたことを明らかにしました。
外交政策は責任ある民主主義国家として、アジア・太平洋及び世界の秩序・ルールづくりを主導することを唱えています。
松浦 玄嗣(埼玉2区)
埼玉県の歯科医です。夫婦別姓や同性婚に反対するなど、保守派としての立場を鮮明にされています。
福留 陽子(大阪6区)
高市早苗を応援する会の会員でもある保守色の強い候補者です。
石川 秀行(比例北海道)
昨年の道議選に立憲民主党公認で出馬して時点で落選した候補で、今回の総選挙でリベンジを期しています。
武正 公一
升田 世喜男
小川 幾代
長谷川 嘉一
大島 敦
島田 誠
森田 俊和
谷田川 元
中村 武人
長友 克洋
小山 展弘
吉田 統彦
岡本 充功
青沼 陽一郎
亀井 亜紀子
東 克哉
亀田 晃尚
津村 啓介
末松 義規
鈴木 光貴
大西 健介
福田 昭夫
岡島 一正
松木 謙公
藤岡 隆雄
緑川 貴士
青山 大人
山崎 誠
太 栄志
荒井 淳志
篠原 孝
渡辺 周
牧 義夫
井坂 信彦
松浦 武志