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時代が求める新しい挑戦をし続ける着物職人・着物研究家 "森本景一"さん

プロフィール
出身地 
大阪
活動地域 京都
経歴 有限会社染色補正森本設立
現在の活動 着物お手入れ公演会

常に自分の可能性に挑戦し続けたい!

記者:現在どのような夢やビジョンをお持ちですか?

森本さん(以下森本、敬称略):実は、同業者に目標となる人は誰もいなくて、誰かの後を追いかけるということはないですね。

自分独自の世界観を創りたいです。人と比較したり競争させられるのは昔からイヤやったので今まで築きあげててきたことを活かしながら、どこまでできるか?

自分の可能性に挑戦し続けたいし、常に新しい挑戦をし続けていくことが僕の夢です。

記者:そのための日々の活動や計画にはどのようなものがあるのでしょうか?

森本:「着物の着こなし」や「着物の変化」について語る講座を開催しています。家紋研究もしてますし「女紋」の本も出版しました。
同業者にそのような人は中々いないと思いますね。インスタなどにも頻繁にアップしていまが、そのような職人さんはあまりいないかと思います。

私にとって着物とは、美術品で身に纏うこともできるもので、親子3代で着れるとてもエコなものですね。最近は「着物離れ」と言われてますが、私は「着物屋離れ」と思っています。着物は着たいけど、着物屋から買わなくなってきているように思います。

最近の若い人はお母さんの着物よりも、おばあちゃんの着物を着たい人たち
が増えている気がします。昭和レトロの戦後の着物を着たい若い人が増えてきているのでそれを手掛けて直したりすることが最近は特に多いです。

戦後、洋服になって動きやすくなってくる戦前までは着物が日常着だけど埴輪とかみると分かりますが、日本も神話時代は洋服だったりします。

では何故、動きやすい洋服から動きにくい着物になったかというと日本に着物が入ってきたのは奈良時代なのですが、当時の中国(唐の時代)は、支配する側と支配される者が分かれてましたので、服装で身分が分かるように
いわゆる権力の象徴、シンボルとして着物
というものがあったんです。


今までの着物業界はルールに縛られすぎ

記者:着物を通して日本の文化を発信する目的もあられるのでしょうか?

森本:日本文化を発信してますが、普通の人が気が付かない部分をお伝えしていたりしますね今までの着物業界はルールに縛られすぎと感じます。その背景には、ルールがあった方が商売しやすいという理由もあります。売る側がお客さんに対して教える側になって、お客さんはお金を払って教わる側、教えを乞う側になる、これは業界の需要と供給が安定するためにできたルールでもあるわけですが、時代はどんどん変わってきてるので、
そんな過去のルールに縛られず、売る側も買う側も自分自身で判断してほしいそんな気持ちもあり現在の活動に至っています。

着物を直すことが本職になりますが、僕は着物ドクターとして、直しが起こらないよう未然に解決策をお伝えしているので、同業者にとっては良く思わない人が多いんです(苦笑)

これが本職ですから古い着物のことがよく分かってくるので博物館の先生も気が付かない、私しか気が付けないこともあるんですね。

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伝承するときに必ず新しいものが生まれる

Q.そのようなご自身になったきっかけとは何でしょう?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?

森本:母が体育会系で勝ち負けの世界を頑張った人で、父は芸術家肌で川柳や絵がうまかった、短い言葉で表現するのが得意な人でした。

僕も絵が好きで、父に絵をかいてくれとねだったり、幼少期はグリコのおまけを集めたり、絵をかいたりが好きで、人とつるむのが得意でなくて、割とオタクっぽいことが好きだったんですね。

そんな自分を母は、あまりよく思わなくて他の子とよく比較されて、それが嫌だったですね。父が頭は良かったけど学歴がなくて苦労した経験があったので、いい学歴を持つことを求められました。母は「あの子と遊んだらあかんで!」とか「あの子と友達になりなさい」とかよく言う人で、だから小さい頃の僕はコンプレックスの塊でした。

けど中学2年のとき、体を使ってお金を稼ぎたいと思い始めて、けど勉強が大事やからバイトをさせてもらえなかったけど、父が修行していた会社を紹介されたんですね、それが今の仕事になるんですね。

着物の染み抜き工場を母の父(祖父)が初代で創ったのですが、その当時は母の兄(叔父)が頭首をしていて親戚が職人として沢山いたんですね。父もそこで働きはじめて10年目位の時に僕が就職しました。

他の職人さんは、叔父は頭首なんでダンナさんと呼びますが、自分からしたら、ずっとおっちゃんやったから仕事場でもずっと「おっちゃん」でした。
業界の常識としては、黙って親方に従うのが当たり前で疑問をもったり、おかしいとか言えない業界なんですね。けど親方が身内だったので、そんな常識が僕にはなかったんです。

だから、おかしいことはおかしいとズバズバ言ってました。仕事内容は、新しい反物(たんもの)の失敗箇所を補正することやから、失敗の原因が分からないと直せないので、何故そうなったかの原因はよく分かってるんです。僕は、お客さんに原因をお伝えすることで無駄な手間や時間、お金がかからなくて済むと思ってアドバイスをしていました。けど他の職人さんをそんなことはしないんですね、もちろん父もそうでした。それがこの業界の当たり前なんですよ。
けど僕は、いかに直し代を少なくするか、仕事を減らすかみたいなことをしてるので組合からもよく思われない存在になるんですよね(苦笑)

業界のご法度に対して、子供の頃から質問もするし業界のおかしい所もズバズバ意見していました。もちろん親方が、おっちゃんや父なので言えたんですが、それが今の自分の基盤になっていますね。

だから父親は僕を早くに独立させました。僕が何か新しいことを始めるたびに「森本は伝統を壊している」と言われるんですが、僕から言うたら「あんたらは守ることだけしてて、それは伝統じゃなくて伝承やで」と言いたい。
本来は伝承するときに必ず新しいものも生まれるはずで、僕は時代のニーズに合わせて変化させながら伝統を残してると思ってます。だから新しく色の着いた紋を創ったり、女紋も伝えてます。

時代に合わせた新しいものも取り入れながら伝統をいかに残せるか?が大事やと思います。京都タワーもできたばっかりのとき「何これ!京都に合わんで!」と非難されたけど、作った人は京都文化を考え蝋燭立てをイメージして創ってるみたいやし、今は京都のシンボルになってます。

記者:その通りですね!とても大事なことと感じました。では最後に読者の方へのメッセージなど頂けますでしょうか?

森本:僕はやっぱり人と競争したり、競り合うのがイヤなんで、もちろん勝って気持ちがいいもあるけど、その相手ひとりに勝っただけやで!
「敵はいつも自分の中にあって、お前このままでいいんか?」と言ってくる自分がいるんですね、サボろうとする自分自身が敵と思ってますね。人間は、誰とも比較しない自分オリジナルの世界観を持つことで前向きに生きれるんじゃないかと思ってます!

記者:誰とも比較しないオリジナルの世界観を持つこと。とても大事ですね!本日は貴重なお話しをありがとうございました!

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森本さんについての詳細情報についてはこちら

↓↓↓

著書:『女紋』(有)染色補正森本出版
   『家紋を探る! 〜遊び心と和のデザイン〜』平凡社出版
   『大宮華紋–彩色家紋集』フジアート出版 





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【編集後記】

今回インタビューの記者を担当した森です。
伝統を守っていきながら、強い意志を持って時代と共に歩む姿がとても印象的でした。
これからの森本様の益々のご活躍とご発展をお祈り致します。

この記事は、リライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。



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