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「カフカはなぜ自殺しなかったのか?」

確かに、普通は、「なぜ自殺したのか?」であって、「なぜ自殺しなかったのか?」とは問われない。それだけフランツ・カフカの人生は自分で自分を追い込む苦悩に満ちたものだったのだ。

カフカの周辺だけでも、曾祖母、同級生二人、作家の友人、病院での知り合い、勤め先の上司、同僚と自殺者が多過ぎる。自殺未遂も入れるともっとスゴい。まあ、そういう不安の時代だったと思うが、こうした環境からも悩み迷うことが運命付けられた人生だったのかも。

カフカの小説には、起きたら毒虫になってて蔑ろにされたり、理由もなく裁判を受けて死刑になったり、呼ばれて行くけどいつまでも待たされたり、どこまでも逃げて行くものだったり、訳がわからん漠然としたものに、結局、自傷してしまうような内容ばっかりだ。←だからこそ好きだ。

友人や好きになった女の子への告白等の手紙も、ストーカーのように、勝手に想いを巡らせて自分の内面を書き連ねたものをシツコク何回も送ったりしてる。

プロポーズの手紙なんて凄まじい。結婚を申し込みながら、自分が如何に結婚に合わなくて心に障害があるかをリストアップするというものだから!

こんな手紙を貰ったら、結婚か、破棄か、どうすればいいのかわからなくなる。カフカ曰く「彼女と結婚しても、しなくても、生きていけない」だって。

さらにカフカはいう。「いつもいつも、死にたいと思いながらもまだ生きている。それだけが愛なのだ」。

そう、全てが曖昧で矛盾だらけで、彼自身も優柔不断でいつも決断できない。死にたいけど死にたくない。つまり白黒ハッキリとさせなくても良い人生もあるということだ。

絶対なんてないのだから、曖昧なグレーゾーンこそ人生そのものなのだ。カフカの人生や小説は、そのことを体現したものと言っていいと思う。“自殺したいけど、自殺したくない、決して一線は飛び超えない”がカフカだったのだ。

来るべきナチスの不安な時代を予感した天才作家といわれてるが、偶然そうなったとしても、普段の日常、友人や恋人、仕事、両親との小さな関わりの中で散々苦悩した結果がカフカの小説であり手紙であり人生だったと思う。

全くタイプは違うけど、絶対を求めた三島由紀夫も、絶対を拒否したカフカも震えるほど大好きだ。また読みたくなった。

脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。