「ダンサー・イン・ザ・ダーク」

流石の俺も最期は号泣しちゃったけど、素晴らしい映画だった「ダンサー・イン・ザ・ダーク(Dancer in the Dark)」(2000年・デンマーク他、ラース・フォン・トリアー監督)。

分厚い黒縁眼鏡をかけたチェコからの移民セルマを歌手・Björk(ビョーク)が、化粧っ気のない純朴な田舎娘(息子がいるママだけど)風に演じており、ハマり役で素晴らしくて感動。

最初はちょっと頭が弱いのかな?とも思ったが、先天性の病気で徐々に視力が弱り、いずれ失明してしまう薄幸の女性だった。その息子ジーンもまた、彼女からの遺伝によって失明する運命にあった。

ブレブレの手持ちのようなカメラワークでドキュメンタリーみたいにリアル感が増してるが、節々にビョークの透き通った力強い声の歌も、踊りも入ったミュージカル仕立てという奇抜な構成なのだ。

観てて、「フランダースの犬」の最終回を思い出した。ガキの頃、同アニメを見てて、“正直者はバカを見る”で、生きるためには時に“悪”とされることも必要なのでは、ということを学んだが、まさに、自分で抗って闘うこともなく、流れるままに運命的に翻弄されて、ついには無実の罪で死刑になってしまう女性がセルマなのだ。

それでも、いつもなるべく笑顔でいて、正直者で、息子を愛しており、秘密と言われれば、例え裁判で死刑を宣告されようとも口をつぐむ。

典型的なトラッシュ白人の警官に息子の眼の手術のために密かに貯めていた大金を盗まれてしまうセルマだが、「お金は必要だから返して」と優しく話してるうちに、警官が逆ギレ、もみ合ううちに拳銃が暴発、警官は死んでしまう。

セルマは逮捕されて裁判となるが、これまた典型的な、トランプのような劣ったクソクズ白人の陪審員連中に有罪の死刑を宣告されてしまうのだ(チェコからの移民だからアカとまで言われる)。

セルマは息子の手術のために真実を語ることなく(裁判で証言すると取り返した大金を取られる恐れがあるから)、息子が手術を受ければもう私の役目は終わったと言わんばかりに運命となった死刑を受け入れることになる。

最期は死の恐怖を懇意になった女性看守に訴えて取り乱すが、息子が手術に成功したことを知って安心して落ち着き、笑顔で歌って吊るされる…。

これは救われない絶望の映画ではない。愛する息子のために死のうとも全てを受け入れる崇高な意志を持った人間の物語なのだ。人間とは欲に溺れる残酷な存在であることを示してくれたのだ。神なぞの概念とは全く関係ない真実の人間の愛の一つの提示。それだけに視聴者に強烈な印象を残す。やっぱり憎しみは憎しみしか生まない。社会は許容することで進化・発展していく。

失明するセルマが歌う。「私はもう見たのよ。全てを見たの。だからもういいの。見るものは何もない」。世界を見ることもあくまで自分本位。本人がもう充分と考えれば、世界は終わるのだよ。

最後の最後まで引き込まれて泣いてしまった…なんちゅう映画だよ!

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。