存在の意味

昨日、作った炒飯のあまりをひっくり返してぶち撒けてる。オーブントースターに食パンを入れて黒コゲ、薬も飲んだ形跡が…あ〜あ、また夜中にボケまくったな。

カーテンを開けてあるから、外が真っ暗でわかりそうなものだけどわからない。あれほど時計を見ろと言っても納得しない。

コッチはわからせようと思って、どうしてもイライラして声を荒げてしまう。

今週、先日の健康診断の結果が出るから近くの行き付けの診療所に行くが、認知症の再検査もやってもらうかね。前回よりもさらに前頭葉が萎縮してるだろうな。

もう家にいる時はほとんど横になって、眼を開けててもボーッとしてる。立ち上がるのも介助がないと困難。全ての活動のやる気をなくして動かない。眼の前にゴミや汚物があっても。デイケア施設だけは嫌がらずに行こうとするけど。

まだ若い頃から多彩な趣味を持って他人との交流も盛んだったと思うけど、こうなってしまったのは、やはり、それが根本的に自分のためではなかったからだろうと思う。

極端に親父や他人に依存してたから、依存先を失って動けなくなってしまったのではないか。しかも、死んだ後にいろいろとわかった親父のバアさんを蔑ろにするような、都合の良い奴隷くらいにしか考えてなかった所業に自分の生きてきた意味を否定せざるを得なくなり、完全に絶望して、早く死を望むようになってるのではないだろうか。

俺が脳出血で倒れて退院して約20年ぶりに帰ってきた時も、全てに手を出そうとしたし、“毒親”ぶりは変わってねえなと腐ったものだった。幼少期の育ちから、性格的に依存体質だったと思われる。

しかし…世間ではよくあること、いやもっと酷いかもしれんが、あんなに醜かった親父とこんなバアさんとの間に、俺と弟は生まれてきて良かったのだろうか?どうしても自分の存在の意味や価値を考えてしまう。もともと白本家はあってはいけなかったのではないか。太宰治(実は詩人の寺内寿太郎)の「生まれて、すみません」だ。

手を焼く親が完全にいなくなった時、ホッとするだろうか。それとも喪失感でいっぱいになるか。親父の時はこれっぽっちも悲しみはなかった。ただ哀れに思ったのと少しの怒り、一日だけの喪失感だった。母親の時はどうだろう。息子と母親の場合は違うと言うが。介護後ウツになったりして。

脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。