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「桜桃の味」

97年のイラン映画「桜桃の味(Taste of Cherry)」を観た。また先日、感動したアッバス・キアロスタミ監督・脚本・製作だ。

ほとんどが横から、運転してる中年男か、助手席に乗った男の顔と喋りをずっと撮ってる映像。「風が吹くまま」と同様、インディーズ・ムーヴィーみたい。

土と埃だらけの道を移動する四駆のクルマとその車内だけで、派手で劇的な展開なんてまるでないけど、言葉だけでグサッと胸に刺さるものがある素晴らしい映画だと思う。

四駆でテヘラン近郊を走って、キョロキョロと人を探してる中年男バディ。
報酬を払って、自らの自殺を手伝ってくれる人を探してるのだ。
クルド人の見習い兵や、アフガニスタン出身の神学生とクルマに乗せて、彼らに依頼を持ちかけるが断られてしまう。
最後にトルコ人の剥製師の老人が引き受けることに。
バディの自殺の方法は、夜に崖に掘った穴に入って横たわり、依頼相手が朝方に来て声をかけ返事があれば助け起こし、なければ土をかけるというものだ。
続いて、現地での映画撮影の様子やランニングをする若い兵士らの姿が画面に現れる…。

バディが本当に自殺したのか、プラン通りに進んだのかはわからないが、そんなことはどーでもいい気がしてくる。

前半は若い男たちとのやり取りを不思議な感じで眺めてたが、剥製師の老人が一方的に話す内容がジワジワと胸を打つ。バディの表情も希望が見えたように変わってくる。

剥製師の老人が言う。
「悩みがあるからと死んでしまったら今に人間なんか滅んでしまう。
ワシは若い頃、自殺しようと果樹園にあった一本の桑の木にロープをかけた。なかなか届かなくて上ってロープを結んだ。
すると手に柔らかい物が触れた。熟れた桑の実だった。
食べたら甘くて、2つ、3つと食べてる間に夜が明けた。
外で美しい風景を見て、学校へ行く子供たちの声が聞こえてきた。
ワシは木を揺すった。子供たちは落ちてきた実を食べた。
ワシは嬉しくなった。それで桑の実を摘んで家に持ち帰った。
ワシは死を置き忘れて桑の実を持って帰ったのだ。桑の実に命を救われた。ワシの気持ちが変わったし、考え方も変わった。全てが変わった」

ここから広い世界を俯瞰する様に土と埃だけだった風景が壮大な美しい自然に見えてくる。

人間の考えることって全てある一面の世界でのこと。だから見方を変えれば世界そのものが変わるのだ。

死を意識したからこそ桑の実は甘かったのかもしれない。普段は絶対、気付かないことでも死を意識すれば気付くこともある。我々はなんと狭い世界にいるのだろうか。

この映画を観て、さらに図々しく生きてやろうと思った次第だ。死を選択する方法も認めるが、映画のラストが死を拒絶するような全てを無しにして突然に終わる展開で、ベタだけど、生きることの喜び、生への賛歌を表してるのではないだろうか。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。