【洋画】「オッペンハイマー」
登場人物もいっぱいだし、けっこう理解が難しく、話の流れが、先に進んだり元に戻ったり、時間通りに進まない、しかも3時間とメッチャ長い映画だったなんて…。結局、時間をかけて3回も観ちゃったよ。
クリストファー・ノーラン監督の、2023年公開の、話題の作品「オッペンハイマー(Oppenheimer)」を鑑賞。
“原爆の父”と言われる天才理論物理学者 のJ・ロバート・オッペンハイマーの伝記映画。
科学者として、原子爆弾を作りたいと、周りに犠牲を生み、恨まれながらも完成させたのだが、それが実際にヒロシマ、ナガサキに落とされて、想像の中でもその惨状を体感してしまい、激しいショックを受けて、後年は、自身もアメリカ共産党と関わりがあったことと、ソ連に対抗して、50年代のアメリカに吹き荒れた“アカ狩り”(マッカーシズム)の犠牲にもなって…という、とにかくオッペンハイマー(あだ名・オッピー)がメッチャ苦悩する話だった。
ノーラン監督の強いこだわりを感じたが、カラーとモノクロを使って、原爆に関わる様々な科学者、政府関係者、ついでに妻・愛人(一人は自殺とされている)など、オッピーが関係を持った女たちや家族・友人まで登場させて、素早く過去が交差して、リズム良く駆け足で、でも徐々に追い詰められていくオッピーを描いている。集中して観てないと人物関係がわからなくなりそうで、非常に疲れたね。
原爆の是非や背景等については、すでにいろんな事が明らかになっているけど、科学者として、政治の世界とは関係なしに、やはり、作りたい、開発したい、発明したい、という欲に抗うことはできないのが人間であると思う。例え破滅をもたらすものであっても。
オッピーは作ったはいいが、実際に使われて、たくさんの人々が殺されて、しかも後々、放射能が残って破滅をもたらすことを知ったら、気が小さいので、自分のやったことの正しさと整合性をなんとか見つけようと死ぬまで苦悩を続けたのだ。
だから、その後の核と水爆開発の縮小運動に身を投じたのだ。遅いけどね。まさに天才は慧眼にして盲目。
“原爆の父”として世界的な名声を残したオッピーの内面は、人間は自らの手で破滅することが可能になったという、この世界(神)に対する恐れに身を震わせていたことだろう。「今や我は死なり。世界の破壊者なり」である。しかし、そんなことに関係なく、政治は動く。
「我々は未来を想像し、その未来に恐怖を与える。だが世界は実際に使い、理解するまで恐れない。世界が恐怖を知った時、我々の仕事は人類の平和を確実にする」なんていわないで、「私は世界を終わらせるために原爆を作った」と言えばまだ良かったのでは。
人間が誕生して、自然よりも先に、やっと自らの手で世界を殺すことができるようになったということは、人類の大いなる成長ととって良いだろうか?
しかし、オッピーは女性にモテるんだね。気の小さい悩む姿が魅力的なのだろうか?
アメリカをはじめ、当時のナチスドイツも、イギリスも、核分裂反応に成功して、物理学の一流の頭脳が鎬を削っていた時、日本は“神風が吹く”などと精神主義一辺倒を頼りに戦っていたなんて…。
オッピー「私の手は血塗られたように感じます」。
トルーマン大統領「恨まれるのは、原爆を落とした私の方だ」と激怒、泣き虫と揶揄する。