「オカルト」

「A」シリーズで旬の、森達也さんの「オカルト」を読んだ。前に「職業欄はエスパー」を読んだことあるが、その次作ってとこかな。たくさんの「オ」カルティストに取材したルポ。

結局、否定に傾きながらも、結論はグレーゾーンで曖昧であやふやな部分があるといったところだ。超能力や心霊・超常現象等は、現在のところ、科学的に検証すれば「ない」と結論付けられるが、まだ、どこか理解できない不思議な現象が実際にあるから、どうなんだろう、わからないね、ということだ。

シツコく徹底的に取材を重ねて真実に迫って行く手法は流石、森さんだね。オカルト現象の伝え方を通して、メディアのあり方にも言及してる。けど、「オ」カルティストの妄言を長々と読むのは辛くて、途中、ちょっと飛ばし読みしちゃったけど。

俺は、こういうオカルト(本来、隠されたという意味)現象は、全てが脳とそれに付随する心理が勝手に起こす現象だと思ってる。ガキの頃はバリバリの「ムー」愛読者だったけどね(笑)。

前から、その議論は、否定・肯定の不毛な水掛け論に終始してて、いつも根本的な解決には至らないよね。それは、オカルト現象が、人間の、失くしたくない一つの裏の文化、カルチャーになってるからだと思う。

身の回りの出来事が全て、合理的に、科学的に、現実的に、疑問の余地もないほどに証明されてしまったら、こんなにも味気ない、つまらないものはないだろう。人間は生きられなくなっちゃうんじゃないか。そこに宗教が生まれる余地もあるし。だから、オカルト現象は失くしてはならない文化なのだ。

それに、人は自由に考えて行動してるつもりでも、実のところ、与えられた様々な枠があり、時にはメディアや宣伝に則って生活してることが多い。オカルト現象は、それからハミ出そうとする人間の根源的な自然な欲求かもしれないと、この本を読んで思った。合理的な世界ばっかりじゃなくて、不思議や偶然に驚き、神さま仏様に手を合わせる非合理的な世界も欲しいもんねー。

時代とともに現れ方は様々に変わって来るだろうけど、これからも生まれ語られ、決してなくなることはないと思うね。

「オ」カルティストがよく「今の科学で全てが説明出来る訳がない」というが、そんなの当たり前で、だからと言って非科学的な現象があるとも思えない。科学で検証できない現象は、まだ科学の手が伸びてないだけで、だから、幽霊や宇宙人、UMAが存在するとは言えない。そう反論すると、オカルティストは大抵、「それは精神のステージが低いから」などと荒唐無稽な話にすり替えて行く。つまり、オカルト現象は極私的な体験で、客観的な視点からの議論にはなりにくいのだ。

オウムがそうだが、「オ」カルティストは極個人的な体験から自分は特別な存在と勘違いすることが多い。で、世間が賛同しないと特別な存在だから攻撃されていると勘違いをさらに加速させる。果ては社会を攻撃するに至るのだ。

オカルト現象は裏の、人間には必要な文化だと思うが、一方で、それをちゃんと科学的に合理的に検証することも絶対必要だと思うのだ。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。