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「言語化が大事」と言うけれど、「言語化」こそが削ぎ落としてしまっている大事な「何か」を考えてみる

8月の酷暑も少しずつ和らいできて、日差しは熱いけれど、風は涼しい。そんな夏から冬に移り変わる季節に何とも言えない心地良さを感じている細貝です。

僕は、仕事としてもプライベートでも、NPOの世界にそれなりの期間で関わってきた。このコロナ禍で、前職のNPOでの後任への引き継ぎ、現在のNPOでの業務の引継ぎをリモートで受けた経験を通して感じたことをもとに、言語化とそれが削ぎ落としてしまっている「何か」について、あれこれ考えてみたいと思う。

さて、本題に入る前にいくつかの前提に触れておきたい。先ずは、NPOの定義についてだ。NPOとは「社会課題の解決を目的とする団体」、「市民を主体として市民の発意により活動する市民活動団体」などといった組織として説明されることが多い。

大前提として、僕がNPOについて書く時、NPO法人はもちろん社団法人、財団法人、労働組合などの任意団体なども含めていることが多い。それは、NPO活動の先進国と言われるアメリカにおけるNPOの括りが、日本よりも幅広く、僕のNPOの考え方に対しても、大きく影響を与えているためである。

そうしたNPOの仕事においては、「価値観」の衝突が起きることが往々にしてある。
ただ、それはビジネスで起きる衝突とは、少し性質が異なる。ビジネスの場合、「売上をあげられるか否か」ということで決着がつくことが多い。

僕自身は、新卒入社した民間企業で営業職だったこともあり、毎月の売上を持ってくることが求められる環境だった。
また、他社の違う職種の人達にも聞いてみると、同じような状況が多いようだった。

NPOの仕事においても、もちろん数字は重要だが、それ以上に「価値観」にもとづく衝突が起きることが多い。

それはなぜか...??

社会課題や市民参加という特有のテーマを扱っているNPOにおいて、アプローチが組織や個々人によって様々だからだ。

特に、今まで僕が一緒に仕事をしてきた人達を思い返してみると...
・元々、社会課題の当事者であったが、今はそれを解決する立場としてNPOで働いている人
・今の社会システムに問題意識を持っていて、解決のためにできる仕事をしたい人
・学生時代からボランティアとしてNPOに関わっていて、仕事としてやりたいと思ってくる人
という感じで挙げられる。そして、共通するのは「困っている人のために何かしたい」「より良い社会をつくっていきたい」という価値観を持っている点だ。(志という表現もできる)

この点だけをみると、とても高潔でリスペクトされるべき人達だと感じるであろう。

しかし、この高潔な価値観が、衝突や支障を生じさせる要因となる場面に何度も出くわしてきた。

「言語化」が削ぎ落してしまった「価値観」から生まれる不快感とどう向き合ったか

そして、自分自身が当事者になることもしばしばあった...(苦笑)

残念ながら、僕自身にもこうした側面があることを認める。
引継ぎの過程で行ってきた言語化からは、その仕事に対する僕が大切にしている「価値観」や「思い入れ」が削ぎ落されて、ただの「タスクの伝達」として相手に伝わってしまっていることに気がついた。
自分の全く想定していない行動を引継ぎ相手がとった時、自分の大切な「価値観」を蔑ろにされた不快感を感じたと同時に、引継ぎの過程で言語化した言葉群からは、その「価値観」やそれが大切であるに至った文脈やストーリーが相手からは読み取りにくいということが分かった。(これが、リモートではなく、フィジカルに横にいて、1つひとつ伝えていける状況であれば違うかもしれない)

幸運だったのは、そんな感情を客観的に見て、気づけるくらいの冷静さが自分には備わっていたことであろうか。
相手にも大切にしている価値観があるし、そこから表出する行動は、自分が予想していないものであっても、より良い成果を生み出すかもしれない。
そんな考えに至ったら、心穏やかに自分の仕事を預けていくことができた。

そして、新しい仕事にあたっての引継ぎを受ける過程でも、説明やマニュアルからは読み取れない「価値」や「文脈」があることを、逆の立場となってみて実感しながら、先輩スタッフとやり取りを重ねている。


「言語化」が削ぎ落としているものを拾っていくための手間と労力を惜しまない

この価値観の衝突は考えれば考えるほど、根深いように思う。同質性の高い(といわれている)日本人ですら、この有様なのだから、他民族国家や複数の文化が入り混じっている国々は相当に大変なことだろう。(近い将来、日本もそうした国々と同じ悩みを抱えるだろうが、できれば対応策を持ちながら、その時を迎えられる方が良いだろう)

「価値観」以外にも、「文脈」「ストーリー」「(その時その瞬間の)感情」など、言語化が削ぎ落としているであろうものを挙げていくと、まだまだ沢山ありそうな気がしてきた。。。(笑)

それら1つひとつを拾い上げながら、相手や物事と向き合うことには、労力がかかるし、そんなことに時間を割くのは面倒だと感じる人もいるであろう。

僕は決して「言語化」を否定するつもりはない。言語化それ自体は、必要なものであり、重要なものと考えている。
その上で、言語やテキストが削ぎ落してしまっている要素にも目を向けることで、その人やその物事が初めて立体的に見えてきて、「価値観」「文脈」「ストーリー」「感情」を拾い上げながら、最適な行動をとっていけると思っている。
そして、その面倒で手間と労力を惜しまないマインドセットは、リモートワークやオンラインコミュニケーションがこれから増えていく世界観の中で、重要になってくるのではないかと思いながら、新しいフィールドに足を踏み入れている。

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