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親の頑張りは、”当たり前”じゃない。

前回の記事で、子どもの生まれて初めての経験には、親の「初めて」もついてまわっているということを書きました。
早くもルーティンワークというか「日常」になっていて、改めて思いを巡らすこともしなかったけれど、よく考えれば確かに親になってからというもの、初めてやることだらけです。

ミルク作り、授乳、げっぷ出し、おむつ替え、寝かしつけ、沐浴…
それに付随して、哺乳瓶の殺菌とか、沐浴の準備・片づけとか、うんち漏らされた服の手洗いとか、生まれるまではあまり想像が及んでいなかった細かい作業がたくさんあります。

まずはやり方すら知らないし、それを学ぶところからスタート。その上で、これであってるのかな?これくらいでいいのかな?これもやった方がいいのかな?こんなことやっちゃって大丈夫かな?…と、不安でいっぱい。
私は特に、首がすわっていない頭ぐらんぐらんの子どものげっぷ出しが怖くて怖くて……泣 はじめは、妻にしきりに息子の表情を見てもらい、大丈夫か、苦しそうじゃないかと尋ねまくっていました。

授乳ひとつをとっても、こんなに頻繁に行う(約3時間ごと!)なんてこと、実際に子どもが産まれてくるまで知りませんでした。おっぱいやミルクをやり、げっぷを出させて、一段落したかと思ったら、次の授乳の時間がまたやってくる…。期間限定とわかっていても、睡眠不足はなかなかツライ。

やっとこさ、この1~2ヶ月を過ごして、我々夫婦は共通して思いました。
「世のお母さん、お父さん……マジリスペクト…!」
想像してた数倍、子育てって大変。しんどい。この短期間でも、疲労やコミュニケーション不足からくる夫婦喧嘩もありました。
どの親もがこの大変な時期を、他人にそんな素振りを見せることもなく乗り越えてきているのかと思うと、本当に頭が下がります。ただただ、すごい。みんなもっと胸を張っていいと思う。自分を褒めてあげていいと思う。

親なのだから当然といえば当然です。それが親の務めだろうと言われれば、その通りだと思う。だけど、みんなこうして確かな正解のないたくさんの「初めて」と向き合って、苦しんで、もがきながら子どもを育てているのだということが実感としてわかってからというもの、街ですれ違うどの子連れもが、同志や尊敬する先輩に見えてなりません。今宵もこんな夜更けにひとり、眠い目をこすりながら授乳する親がいるのだろうと思うと、それだけでジーンときちゃいます。

特に、新生児期を含めた乳児期を孤独に戦っている親は、案外多いのではないかと思います。ネットの情報に頼らざるを得ず、親同士のコミュニティもまだまだ形成されていないから、不安や悩みをぶつける相手もいない。そうしたケースが往々にしてあるのではないでしょうか。
そんなしんどいときに、「大変だね、でもよく頑張ってるね」って認めてくれる人がそばにいてくれるだけで、どれだけ救われることか…。

みんな、誰かに褒められたくて育児してる訳じゃない。当たり前だと思ってその責任を背負ってる。だけど、自分がちゃんとできているのかどうかさえも不安なんだから、手探りで頑張っているその姿勢だけでも他の誰かに認めてもらえたら、また歩き続ける支えになるんじゃないかと思うのです。
私自身は日中仕事に出ていることもあって比較的気楽に育児に向かわせてもらっていると思いますが、1日中子どもにかかりっきりの妻は本当に大変です。それが「お疲れさん、ありがとう」の一言二言だけでも少し気が紛れる様子ですから、やっぱりその頑張りに日々感謝して、言葉や行動で示さないと、と感じます。


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昨日、私は抱っこ紐デビューしました。笑
つけるのでさえもこれまた一苦労。つけてる最中も、子どもの顔が自分の体に密着するものですから、息ができているのか心配になって、度々覗き込んで確認。歩いている間もずっと心なしか猫背になっていたようで、腰が痛くなりました…。本当に細かい部分も含めて、子育てって慣れないことばかりです。もちろんそれが楽しくもあるのだけれど!

喜びもたくさんあるはずの子育てで、息切れしてしまう人が出ないよう、親の頑張りは”当たり前のようで、当たり前じゃない”と、ちゃんと周りが認めてあげること。そして何より育児を頑張ってる人が、自分自身を甘やかしてあげられる心の余裕を持てるような社会でなければいけないなと思います。

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