実家の湯沸かし器が壊れる その12 最終回

その1はこちら。
https://note.com/tomohasegawa/n/n59bcd0be61d7

その2はこちら。
https://note.com/tomohasegawa/n/naf5e44adc409

その3はこちら。
https://note.com/tomohasegawa/n/n1a4bac5b28fa

その4はこちら。
https://note.com/tomohasegawa/n/n9e0d4914b4b7

その5はこちら。
https://note.com/tomohasegawa/n/n42426e90bb66

その6はこちら。
https://note.com/tomohasegawa/n/ne555869e8f13

その7はこちら。
https://note.com/tomohasegawa/n/na0abedbc7c5a

その8はこちら。
https://note.com/tomohasegawa/n/n84527c5c2eb6

その9はこちら。
https://note.com/tomohasegawa/n/necb0fa2135df

その10はこちら。
https://note.com/tomohasegawa/n/n3b3182aeb16f

その11はこちら。
https://note.com/tomohasegawa/n/n2e55af264ffb

僕は全く眠ることが出来なかった。作ったインスタントコーヒーを飲み干す。今度で3杯目だ。一方母は、寝れないといつもほぼ毎朝ぼやくのだけど、この時は何も言わずに、粛々と緑茶を入れるべく台所でお湯を沸かしている。2月4日午前8時50分。電話が鳴った。

「今から出ます。あと20分位で着きます」。

欲しかったパロマ用に近い金枠はとりあえず手に入ったとの連絡が、既にSさんより昨日あった。最早僕にすることは何もなくなっている。ワクワクすればお湯がワキワキする、あとはそう信じて、ただ待つだけだ。母にはその言葉の真意を説明してもきっと理解できないだろうから止めておいている。既に母は大丈夫だと思っているからワザワザ、ザワザワと煩わせることもないと思ったからだ。

“ピンポーン”。

9時20分、少し遅れてだったけど、Sさんと設置するための技術者の方、二人が颯爽と現れた。お互いが挨拶する中、僕は手に入れたパロマの給湯器本体をSさんへと託す。「よろしくお願い致します」。僕と母はそう言って深くお辞儀をする。笑顔が眩しい、僕らのヒーローとなる二人は、玄関近くの給湯器設置場所にて作業を開始した。

「設置は順調なら30分位で終わります」。Sさんは確かそう言っていたよ、そう僕は母に伝えていた。しかし10時になっても二人は作業を続けている。「私も聞いてたけど、2時間位って言ってなかったかしら」。そうかもしれない。2時間でも3時間でも何時間かかっても構わない。

僕は、膵臓癌の手術中の父が手術室から出てくるのを待っている、1995年の晩夏を思い出していた。その時手術は成功する、と僕は信じていた。そこにいる母も、親戚も、皆そう願っている、と思っていた。もちろん願ってはいたのだけど、僕と決定的に違うことがあった。それは僕(あと妹)以外は、もう父は助からない、と先生より知らされていたことだ。僕は膵臓癌の恐怖、凄まじさを全く知らなかった。だから手術室から先生が出てきて、無事癌を摘出したと言ってくれた時、素直に信じて嬉し泣きした。しかし父はそれから見る見るうちに衰えていき、95年12月23日夜この世を去った。

Sさんが玄関のドアを開けた。終わりましたか!?「すみません、ブレーカーを落としたいのですが」。「パソコンがついているんで、ちょっとお待ち頂けますか」。

今度僕は、母がうつ病で自宅から一切出ることが出来ずにいる状態、一方叔母が大腸癌の手術をすることになる、2009年の冬を思い返していた。その時母は、40年近くパーマ屋さんを切り盛りしていた、そのパートナーであった叔母が癌であるとは全く知らされていなかったし、ましてや手術をする、なんて思ってもいなかった。僕は、いつも母といるのは疲れるから、たまには一人で呑みに出かけたい、そう嘘をついて強引に叔母が手術する病院へ向かった。母は5分毎に僕の携帯に連絡してきた。今どこにいるの?まだ呑んでいるの?いつ帰ってくるの?僕は母からの電話に全て出て応え、大丈夫だから心配しないでとなだめすかしつつ、叔母の手術の成功を祈った。

Sさん達が何かの作業を終えたようだ。「ブレーカーを元に戻します」。

叔母の手術は成功した。無事退院することが出来た。その時の僕は95年より大人になっていたから、色々なことを知らされていた。だからこそ手術は成功するとピュアに信じられた。母も叔母に再び会うことが出来たし、僕も叔母と外食等を楽しんだ。しかし後に再発し、2010年の春に叔母は帰らぬ人となった。

「もう11時か」。そろそろ2時間になる。僕が手に入れた給湯器本体は壊れてはいないだろうか。調達してもらった金枠は果たして。もし給湯器を強引に付けることが出来たとしても、実は僕の手元にはそれを稼働させるためのリモコンがまだ残されている。リモコンはまだ在庫があったから、壊れていても返品交換すればいいけども。心配ばかり募るが、作業に集中している玄関先の二人は中々僕らの前には現れてくれないので、進行状況を聞くことが出来ない。

母も僕も何かを心配し続けるのはとても苦であることは知っている。色々紛らわそうとするが、僕らはいつの間にか甥っ子の高校受験の話をし始めた。結局ここでも話題は“心配”となる。受かるか受からないか、僕らがどうこう出来ることではない、だから心配しかできない。でも本当にそうだろうか。違う、僕らに出来ることは他にもある、そう、それは信じることだ。

作業中の二人の談笑が聞こえた。その後Sさんが玄関のドアを開けて、中に入って来てこう言った。「リモコンを付けますね。またブレーカーを落としたいのですが」。「わかりました。でも、給湯器はどうでしょうか」。「はい、順調に行ってます。これなら大丈夫ですよ」。

“シャーッ”

今僕は実家のシャワーでシャンプーをしている。暖かいお湯でしっかり泡を全て洗い流せるのは快感の何物でもない。前より吐き出されるお湯の勢いが強いのも嬉しい。夜はビールを呑む前に浴槽に湯を入れよう、ちょっとした温泉気分だな。足拭きマットの上に乗り、棚にあった洗い立てのタオルを一つ掴みながらそう思った。

“ピンポーン”。

プリンス・イベントAfternoon Paradeに遠隔で少し出演する予定なので、Webカメラを注文していたから、それだろう。母は買い物中でおらず、僕は急いでモニターフォンへと向かった。画面には長い髪をきゅっと縛ったスポーティーでスリムで魅惑な女性、バロンがいる!

“エメロン”。

こっちの耳の具合次第で名前が変化するんだな。泣いているのか、笑っているのか。声かけたいな、外国のひ~と。「荷物でしたら、そこに置いてください」。


2月XX日。電話が鳴った。妹からの連絡だったらLINEを使うはず。だから母の友人の進藤さんからだろう。僕らは多少そわそわしている。でも本命合格間違いなしだよ。凄い頑張ってたって妹から聞いているし。

レレレレレイカーン、ヤヤヤヤヤマカーン、ダイロッカーン(。・ω・。)ノ♡



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