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自己肯定感を高めるための海外MBA - 日本社会との決別 -

1ヶ月超日本を離れ、イスラエル→エジプト→UAE→スペイン→ポルトガル→ギリシャと移動して、各地からオフライン/オンラインで仕事をしつつ、年末年始にかけて少し休暇を取っているところです。

移動の激しさゆえか、クレタ島で体調を激しく崩し、ただ回復の過程で妙に頭は働いていて、加え、仕事も急ぎのもの以外していない時期だったという経緯があり、久々の記事執筆に至りました。

海外MBAの価値については、4つに分解して以下の記事でご紹介しました。

この説明が間違っているとは特に思いませんが、もう少し精神論の部分で言うと、「自己肯定感を一気に引き上げるための手段」として海外MBAが有効なのではないかと最近考える機会が色々ありました。

失敗談とコンプレックス

受験生と話していて最近時折感じるのが、「こいつは最初から何でもできたグローバル市民で典型的な日本人の自分とは違う、だから色々何か言っているけどこいつの話は大して参考にはできないな」という私に対しての目線です。

直接言われたわけではないので、壮大な被害妄想かもしれませんが、複数の機会でそう悟る場面があり、全く的外れというわけでもない気がします。

IESE (イエセ) MBA卒業から6年超が経ち、貫禄も出すぎてしまっているのかもしれません 笑

それも一つの背景として、最近一歩引いた立場で職掌上の物事を動かすようにしています(元アーセナル/バルセロナ所属のベラルーシ代表フレブのようなイメージです)。

自分の失敗談や恥部について言う文脈が単純にないから言いそびれているだけなので、隠したいことなど大してないのですが、結果、上記のような目線に至っている節があります。

諸事情で細かく書けない部分もありますが、例えば、過去の失敗談としては、以下があります。

・中学三年時に、中高一貫校ゆえに高校一年生の内容を先取りした数学の試験で、漸化式の内容に全くついていけず、0点を叩き出し、強い危機感を持った親が当時東京大学在校生の家庭教師を雇った(恥ずかしかった…)。

・高校でバスケットボール部と大学入試準備の両立が自分の能力では困難と悟り、前者を途中退部した(悔しかった…)。

・センター試験が壊滅的な出来で、東京大学文科三類用の判定は3つの大手予備校全てでE判定だった(死にたくなった…)。

・ケアレスミスが多く、記憶の限りにおいて、いかなる試験でも満点を取ったことがない。

・GMATの1回目はやや軽い気持ちで試し受けしたが、準備万端の状態で受けたはずの2回目でそれよりも90点も低い点数を叩き出した。

・IESEのチームミーティングで議論についていけず、空気以下の存在に成り下がっていたことが複数回あった。

・IESEの1学期の成績で、各科目下位10%の学生に与えられる「C」を2科目で取ってしまった。

個人的に最も後々インパクトを残しているのは、(意外にも?)バスケットボール部のエピソードです。

苦渋の決断でしたが、結果として、当時の己の能力及び入学した大学のもたらした人生における幅広な効用を考えると極めて正しい判断だったと思います。

しかし、これらの選択肢を両立していた同級生も複数名おり、自分のふがいなさを感じて以降、自分が人生で本当にやりたいことが同時に複数あった場合は、断固全部叶えると心に誓いました。

ところで、失敗談ではないのですが、海外MBAに行く前の私の中には、海外で教育を受けたことがない点についてのコンプレックスがありました

海外で教育を受けたことがなかった背景は、外部的な要素の方が大きい気がしますが、一部、自分自身の過去の判断も入っていました。

目線の置き方次第でしょうが、私が割と普通な日本人であったことは理解いただけたでしょうか 笑

自己肯定感が高まる瞬間

当時出向中の金融庁国際室もそうだし、プライベートの親しい関係を見回しても海外で教育を受けたことがないのは自分だけではないかと思うくらい、なぜか、長短はさておき留学を経験した人や帰国子女に囲まれていました。

海外MBA受験の初期検討時に色んな人の話を聞いたところ、「仕事とMBA受験の勉強を両立するのは本当に大変で、一部の会社の社費受験生のようにタコ部屋で勉強させてもらえる環境でもない限り、事実上全入制の学校は別として、特に私費受験は厳しい」との意見を多く頂戴しました。

今もう一度同じ気概を持てるかわかりませんが、それを聞いた当時、「この忙しい役所生活と海外MBA出願準備を両立できたら(*)自信がつくぞ」と火がついたのは確かです。

*2年間の役所への出向期間の後半は生活が多少落ち着いたこともあり、平日は昼休みの食事を5-10分で終わらせ、残り50-55分トイレの個室で黙々とGMATのCRとRCを、通勤電車でSCを解き、休日も自宅で程々に勉強し、日々6.5時間の睡眠を最低確保しつつ、GMATをこの同期間に完了しました。

海外MBA受験が手段ではなく目的になっているのかのようなやや危険な物言いですが、ある程度そういったモードで取り組まなければならない時期があるのも、一定数の受験生にとっての否定し難い事実でしょう。

前述の通り満点の記憶が殆どないことからも、試験で無双するタイプの人間ではなかったですが、それでもそれなりに得意な自負はありました。

ただ仕事だけしているとそれを証明する機会に恵まれないし、また、中小企業診断士やUSCPAなども考えたことはありますが、前述のコンプレックスも考慮しつつ、自分の興味・目的に即した形で自己肯定感を上げきるには最適な試験ではないと考えました。

加え、遅かれ早かれあり得る海外駐在が代替案としては必ずしも機能しないであろうことも理解していました。

受験にあたっては、当然エッセイやその他の構成要素も絡みますが、結果的に、海外MBA受験及び海外MBA生活は大いに自己肯定感を高めてくれました。

海外MBA生活の方に関しては、IESEだったからこその部分も相当大きいのですが(以下の記事後半参照)。

海外MBA自体、期間中何度失敗しても大丈夫(*)な安全地帯ですし、様々な失敗経験を重ねつつも学びに昇華し再発はないぞという水準に達したり(**)仮説検証の末に自分が戦うべき領域を確信した際の自己肯定感は著しく高くなっていることが多いはずです。

*キャリア面はその限りではないと考えます。また、卒業できる程度の最低限の成績を残すことも当然大事です。

**当然、この過程で自己肯定感を落とすことも往々にしてあります。それこそが留学の本質でもあるので、一定のアップダウンを味わう覚悟が予め必要でしょう。

また、海外MBAは、社会人になってから利害関係が薄い友人を作ることのできる貴重な機会であり、その薄さゆえに失敗談やコンプレックスをお互いに共有して、お互いを肯定し合い、結果、自己肯定感向上に繋げてゆく側面もあるでしょう

上で2箇所太字で強調した部分は、海外MBA生活を始める前には気づいていなかった、貴重な効用でした。

海外MBA受験時に、「自己肯定感向上のために海外MBAに行きます!」と宣ったところで、周囲の共感は得にくいかと思います。

そもそも海外MBAに行ったことのない人に海外MBAに行くことの共感や理解を求めること自体が多くの場合お門違いと個人的には思っています。

たとえ、所属する会社に社費派遣制度があろうとです。

ただ、自己肯定感向上が目的でこの世界に飛び込みそれが達成できるなら、出願上は志望動機を別途作り込む必要ありとしても、それはそれで良い気がします。

他の類としては、いわゆる学歴ロンダリングと言われそうなもの、つまり大学受験では思ったような結果が出ず海外MBA受験でリベンジしたい、という動機であっても、最終的に自己肯定感向上に繋がるなら一旦は良いのではないでしょうか。

大学受験で苦労した方が特にGMAT/GREで苦労する可能性はあいにく高いですが、そういった方が見せる受験中(及び時に在学中)の執念に驚かされたケースはこれまで複数あり、その過程での自己肯定感向上の大きさも想像に難くありません。

海外MBA留学したことのある自分としたことのない自分の両方を想像してみてどちらが好きか、という問いも自己肯定感と海外MBAの親和性を探る方法の一つかもしれません。

日本社会との決別


ちなみに、自己肯定感が高まると、余裕ができるためか、多くの場合、他人にも優しくなれるので一石二鳥です。

なお、(自戒を込めて)傲慢になる場合もあるので、決して常に当てはまるわけではありません。

今の職場が働きやすいのは、周りに自己肯定感が高い人が多いことも関係していると分析していますが、一般論としてこの点も仕事を選ぶ上で大事なのだろうなと考えさせられます。

この環境は、残念ながら日本企業の方が見つけにくいでしょう。

日本の慣習として、他人に迷惑をかけないようにする、周りと似た行動を取る、自分をとことん謙る、などがありますが、自己肯定感との相性はあまりよくありません

日本人海外MBA受験生ならではの独特な質問として、「日本人だからこそできる在学中の貢献は何でしょうか?」があります。

これは日本人の個人としての自己肯定感の平均的な低さを暗示しており、それゆえに日本人という共通の特性を有する集合体に活路を見出そうとする発想なのでしょう。

日本人受験生としては違和感のない質問なのかもしれませんが、私が担当する他国の受験生からこんな質問を受けたことは、未だかつて一度もありません。

また、海外MBAの文脈に関係なく、日本人が他人の成功談よりも失敗談に一層感情的に食いつきやすいであろうことも、概ね同じ構造と解釈しています。

したがって、前述の私の失敗談を読んで、当該失敗談に対する共感よりも「なんだコイツ、失敗談をさらけ出して読者の注意を一層引こうとしているのか」という感想が先に来る人が、自己肯定感が高めな人である傾向が強いと思います。

同時に少し意地悪な人かもしれません 笑

表題で「日本社会との決別」と、やや過激な物言いをしましたが、自己肯定感追求にあたり、ある程度日本社会、すなわち日本人らしさを求められる場とのトレードオフな部分があるというのが言いたかったところです。

個人的には海外MBA受験中ですら、日本社会から色んな文脈で少しずつ隔離されていく自分を感じていました。 

その最たる瞬間はキャンパスビジットだった気もします。

この過程に戸惑いを感じつつも、興奮もしていました。

その決別が一層大局的な見地から適切かは個別性含め議論の余地がありますが、少なくとも自分の場合は、その決別のおかげで海外MBAの価値を最大化できたと正直思っています。

また、それによって得られた自己肯定感の価値はかけがえのない、持続性を伴うものだと思っています。

自分で自分を認めてあげられる、いちいち自分を他人に認めさせる必要がない、これによって人生がずいぶん心地よいものになります。

承認欲求にも通じ得る話です。

但し、私はあまりそうではないはずですが、自分で自分を認めた上で、更に他人にも自分を認めさせたいという欲求が強い人もそれなりにいるでしょう。

また、海外MBA後に適切な環境に身を置くことも自己肯定感の中長期的な維持には必須でしょう。

他方、例えば、他人を見返す思いで海外MBA受験を始めたけれど、気づいたらそんな他人がどうでもよくなっているくらい、ここではないどこかに自分が辿り着くというのは、海外MBAあるあるな話な気がします。

海外MBAを目指す理由を出願までに一定の説得力を持つ形で固めておくことは、合否云々以上に、ご自身が海外MBA卒業後のキャリア形成上で不幸になる可能性を下げるために重要でしょうが、出発点はこのように不純なものであっても全然良いと思います。

まさに数値化できない海外MBAの価値というやつです。

日本社会独特の閉塞感を打破するために最も必要なものの一つが、集積した自己肯定感だと考えますが、現実問題、社会や他人を変えるよりも自分を変える方が近道なので、そのための手段として海外MBAを活用してはどうでしょうか、というのが今回のまとめです。

さて、いつもよりは多少は人間臭い記事を書けたでしょうか。

どうぞ良い年末年始をお過ごしください。

皆さんの自己肯定感が一層高まり、より良い日本社会に近づく2023年になりますように。

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