人魚の数え方

ある夜、ひげもじゃの漁師が酔っ払って言いました。
「沖合に船を出したら、人魚を一匹見かけたぞ」

酒場の人々は、その大きな声に、思わず耳を傾けました。

「人魚と言ったら、あの人魚ですか?」
酒場のマスターが、コップを拭きながら言います。

「ああ、あの人魚だよ。上半身が人間の女で、下半身が魚の、あの人魚だ。一匹で泳いでいるかと思ったら、俺の方を見てニコッと笑ったよ」

漁師は得意げに言いました。
それから一瞬間をおいて、酒場の人々はドッと笑い出しました。

誰も皆、口々に「人魚なんているわけがない」「大きな魚を見間違えたんだ」と言うのです。

「だったら、会ったという証拠を見せればいいんだろう」
漁師はすっかり気を悪くして、席を立ちました。

ズカズカと店を去る漁師の背中を、笑い声が見送りました。

次の日。
漁師はまた、沖合へと船を出しました。
穏やかな波の音と、遠くで鳴くカモメの声が聞こえます。

漁師は思い切り息を吸い込んで、叫びました。
「おーい、人魚! いるんだったら出て来いよ!」

ちゃぷん。
と、遠くで波が跳ねたように感じました。
けれども、人魚の姿はありません。

漁師はもう一度息を吸い、今度は少し優しく言いました。
「人魚さーん。いるんだったら姿を見せてはくれないか」

ちゃぷん。
と、近くで波が跳ね、美しい人魚が顔を出しました。

あの日よりずいぶん近くに現れたものですから、漁師は驚いてしりもちをついてしまいました。

そんな様子を見て、人魚は口に手を当てふふふっと笑いました。
濡れた髪が、太陽の光を浴びて輝いています。

「なんだい、笑うんじゃないよ」
漁師が眉をひそめて言うと、人魚はごめんなさいと言わんばかりに波の中に隠れてしまいました。

漁師は慌てて「ああ、違う。怒ってはいないんだ」と言いました。
なんとしてでもこの人魚に会った証拠が欲しかったのです。

人魚はそーっと海から顔を出しました。

その姿がなんだか可愛くて、漁師は笑いながら「少し話さないか?」と言いました。

人魚はきょろきょろとあたりを見回した後、小さくコクンとうなずきました。

それから漁師と人魚は、長いことおしゃべりをしました。
漁師が質問をすると、人魚は身振り手振りで返事をします。

人魚の美しい髪が乾いてしまうほど、ずっとおしゃべりをしました。

やがて、漁師は人魚に言いました。

「明日も来ていいか?」

人魚は大きく三回、うなずきました。

その夜、漁師は再びあの酒場に行きました。

席に座り、エールを頼むと、息を整え言いました。
「沖合に船を出したら、人魚を一人見かけたぞ」

酒場は一瞬静まり返り、それから笑いに包まれました。

誰も皆、口々に「そんなこと、まだ言ってるのか」「証拠だってありゃしない」と言うのです。

けれども、漁師はもう、何も言い返しません。
満足そうにエールを飲み干すと、にこやかに席を立ちました。

おしまい

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