祖父の庭

頑固で偏屈な、嫌われ者の祖父が死んだ。親戚からも疎まれ、息子である父ですら、葬式で顔色ひとつ変えなかった。
祖父は広い庭のある大きな古い家で、祖母が死んでからの30年ばかり一人で住んでいた。

父曰く、その広い庭はいつも祖母が丁寧に手入れをしていたらしい。まだ幼い頃の朧げな記憶の中の祖母は、いつも笑顔で、楽しそうに草木の世話をしていた。チューリップとかひまわりとか、名前のわかる花だけでなく、見たことのない色とりどりの花が咲く庭だったことを、微かに覚えている。
花だけでなく、藤棚だとか柿の木だとか、確かぶどうの木もあった気がした。

祖母の亡き後、庭の手入れは祖父がしていた。庭はまるで祖父そのもののように、あまりにも整然として、確かに綺麗ではあったが、どこか無機質に感じた。
祖母が育てていたものと同じ花が咲いているにも関わらず、それはもう祖母の庭とは違うものだった。

けれどもまだ幼かった僕は、その庭で遊ぶのが好きだった。子供の僕には、その整然とした無機質さを不気味と感じるほどの感受性はまだなかったし、ただ草木の生い茂る庭をジャングルの如く探検して回るのが楽しかったのだ。

祖父は孫である僕が遊びに来たところで、世の「おじいちゃん」のようにニコニコとするわけでなく、ただ無愛想であった。父もまた、実の父である祖父と談笑を交わすこともなく、ただ庭で遊ぶ僕を眺めているような、静かな時間だった。

それでも祖父は、庭で実った柿をむいてくれたし、ぶどうジュースも作ってくれた。父から言わせれば祖母の真似事であるそれがやけに美味しくて、今でもあれを超える味に出会えていない。思い出の中で大きくなりすぎただけかもしれないけれど。

そういえば、あの庭で一度だけ誰か子どもを見かけた気がした。あれは一体誰だったのだろう。暑い夏の日のことだった。

その男の子は、突然現れたかと思ったら、庭で遊ぶ僕に構わず木登りを始めたのだ。僕がいくら呼び掛けたところで返事もしない。やがてまた同い年くらいの女の子がやってきた。女の子も、やはり僕には目もくれず、男の子の名前を呼んでこう言った。

「落っこちたら危ないよ」

男の子は黙って木から降りてきた。それからぶっきらぼうに「また来たのか」と言った。

「だって綺麗な庭なんだもの。あたしここが大好きよ」

笑う女の子は、男の子のぶっきらぼうさなんて気にも留めていないようだった。

「うちにお嫁にきたら、この庭全部お前にやるよ」

女の子はそれに対して、鈴のなるような声で笑った。

それからどうなったかはよく覚えていない。夏の日差しにやられて見た白昼夢だったのかもしれない。

しかし葬式で、祖父と祖母は幼馴染みであったことを聞いて、ふと、あれは幼い頃の二人だったのではないかと思った。僕はきっと、庭の記憶を見たのだ。長いこと2人を見守り続けた、あの庭の記憶を。

整然として無機質なあの庭には、祖父の不器用で拙い、祖母への想いが詰まっていたのだろう。

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