塩素の匂いと鶏肉の匂い
「味は記憶につながっている」
NHKスペシャル「食の起源」を見て、そんな言葉が目についた。
ぼくにも、小さい頃に食べた忘れられない味がある。
※※※
子どもの頃、スイミングを習っていた。泳げないわけじゃなかったけど、いつもプールに通うのはとても緊張していた。
とくに仲のいい友達がいるわけでもなく、先生に言われたとおりにコースを坦々と泳ぐ。
なにが面白いということもなかったのだけど、級が着実に上がっていくのは嬉しかった。
ただ、1番上の級に上がる手前で、ずっと手こずっていた。あと少し、タイムが伸びなかったのだ。
「よーい、スタート!」
メドレーの測定が始まる。水の中は音が途切れる。プールの底が見え、息を吐き出す泡が見える。
心拍数はどんどん上がっていく。最後のターンを終えると、あとはガムシャラだった。
結果は、やはりあと少し足りない。
今日もダメかもしれないなぁという思いが、ぼくを少しずつ緊張させていたのかもしれない。
塩素の匂い。反響してわんわんと鳴る声たち。
この匂いと音は、いまでもぼくを少し緊張させる。
緊張のプールが終わると、母が迎えにきてくれた。スーパーで買い物を終えた母といっしょに、自転車で家まで帰るのだ。
その帰りしな。
油と肉のムッとした匂いの横を通る。それは近所の小さな精肉店だった。
プールで目いっぱい泳いで、お腹が空いていたぼくには、食欲を刺激されるたまらない匂い。
だからいつも、その店の前でおねだりをする。
「なんか、食べたい」と。
母は2回に1回くらいは立ち寄ってくれた。
小さな店内には、いろんなお肉と、何種類かの揚げ物がある。
ぼくがいつも選ぶのは、チューリップだった。
骨付きの鳥の唐揚げ。
何本か買ってもらい、1本はその場で食べる。
揚げたてじゃないから、少ししっとりした衣。
皮でしっかりと包まれていて、とてもジューシーだ。そして、ももや胸の唐揚げとは違った独特の香りがした。
香辛料とかではなくて、それは肉の香りだった気がするけど、いまではもう正解はわからない。ただ、ぼくはその香りがなんだかとても好きだった。
そして、なぜか塩素の匂いと、この鳥の匂いはぼくの中でセットで記憶されている。
いまではチューリップを食べる機会もほとんどなくなった。
だけど、プールの匂いを嗅ぐと、ふとチューリップの匂いを思い出す。
では、また明日。
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